深雪はそのとき、厨房にいた。普段は接客担当なのだが、今日は平日、客も少ない。雑用を普段あまりやらない深雪にとっては皿洗いも一苦労だった。

「あーぁ、早くおわらないかなぁ・・・」

そんな愚痴をこぼしつつ、ちゃんと洗っていた矢先、それは起こった。

「いやっ、ゆれてる!」

地震だ。棚に入っていた皿は最近取り付けたつっかえ棒のおかげで無事だったが、洗っていた皿は積み上げたままだったのでひどいことになっている。

「チーフに怒られちゃう・・・いや、いまはお客様の命のほうがものすごぉぉく大事!」

そう気合を入れ直すと、急いで厨房の外に出た。同僚が近くの高台にお客様を避難させていた。

「なんか手伝うことある?」
「もうすぐ避難終わるからいいよ」
「ありがとう梅沢君」

今のは梅沢孝司という男。深雪の後輩で、同い年でもあるいい友達だ。よく男女間の友情は成立しないというが、この二人の間にある人物がいることで成立する。

「よし終わったぞ。孤児、よく頑張ったな」
「おやっさん!」
「竹本さん!」

この竹本司に深雪は絶賛片思い中であり、こいつ以外誰も目に入らないのである。

「孤児じゃないです、孝司ですっ!ずっと一緒に暮らしてたのに、わからないんですか?」
梅沢は3歳のとき、親を事故で亡くしている。祖母や祖父もいない梅沢を引き取れるのは、祖母のいとこの弟の孫である竹本だけだった。

「あと142号室の関川様がいらっしゃらないんだが、見てないか?」

「見てませんねぇ…」
「俺、名簿つけてましたけど、いませんでした!探してきます!」

梅沢が走っていく。その時、竹本がこっそり教えてくれた。

「・・・実は、関川様は確認済みなんだ」
「えっ!」
「外出していた時、ちょうど一緒だったもんで、先に避難させてたんだ。本当、慌てんぼさんだね、孝司君は・・・」

クスクスと控え目に笑っていた時、チーフが帰ってきた。

「みんな必死なのに何笑ってるんだい?」
「梅沢君はほんとに慌てるの得意だなぁって思ってました」
「人には良いところと悪いところがそれぞれあるんだよ。それを君は笑うのか い?」
このちょっと厳しい人は松村理央。女のような名前だが、これでも男だ。

「・・・」
「まぁ、とにかくお客様の安全は確保したし、そっちにいる従業員だけでちゃんと救助を待てそうだし・・・うーん、僕らはホテルを荒らされないよう、見張っていることにしようか。向こうの物資が足りなくなったときのために、こっちにもちょっと置いてあるから。要請があったとき、それを運ぶ人がいなきゃいけないでしょ?」

それもそうだと皆(4人だけど)うなずき、救助を待つことを選択した。この日からいろんな恋の駆け引きが始まるとも知らず、それぞれいろんな場所で、いろんな業務をそつなくこなしていた。