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宣言どおり、口説き落とされた。
でも、悪い気はしない。
むしろ胸の詰まりがほぐれたように軽い。
過去に囚われすぎて、たった一歩を踏み出すことができなくなっていたんだ。
それは実はすごく簡単で、踏み出してしまえばあとは走っていけそうな気さえしてくる。
…手を引いていてくれるなら。
ひとりの力だけで進むには、まだ方向が見えなくて心細すぎる。
「……ねえ伊純兄さん。全然見えてるから。立ち聞きするなよ」
小田桐君の熱い手が離れていく。
私の背後に向かって呼び掛けている。
「たりめーだ、隠れてねぇもん。んなことする必要ねえだろが、ここは俺の仕事場だ」
ものすごく凄みのきいた低い声。
というか怖い。
小田桐君の甘い声を聞いたあとだとなおさら。
くりんと首を回してみると、私たちが入ってきた階段の横にラックがあって、
荷物いっぱいのその後ろに見えるまた別の入り口に、もたれ掛かるようにして男の人が立っていた。
「だって大事な話だったんだ、そんな堂々と聞かれるのもね」
この人が"伊純兄さん"か…。
叔父さんだって言っていたけど、嘘みたいに雰囲気が似ていない。
真っ黒な髪は天パなのかうねっていて男性にしては長めだけど、鼻が高くて輪郭がシャープなので俳優みたいによく似合っている。
黒いVネックに細身のスキニー。
首もとにゴールドのペンダントがぶら下がっている。
なんだかこう……
何もしなくてもキマって見える人だ。
タバコでも吸いそうな気だるげな表情と佇まい、と思っていると欠伸した。
単に眠いだけか?
「しらね。お前こそ勝手に女連れ込んでんなよ」
「言い方……」
伊純さんの視線が刺さるので、
あの、と向き直る。