「……痛いよ」
「そっか。」


そう呟くと、サエキはカナタの肩に置いていた手を、するりと首に回した。
体格はそれほど変わらないが、抱き締めるというよりは、首に抱き着いている。
カナタは少し、身を固くした。
頬の横から耳の横に移動した唇が、「あのね、私」と囁いた。


「ナイフとか、怖いんだ。刃物恐怖症で」
「そうなんだ……ごめん」


「んーん」と鼻を鳴らして、カナタの肩口で、首を横に振る。


「だから、手首も頸動脈も切れないの。これだけはどうしても克服できなくて」
「そっか、ごめんね」
「でも、私、怪我させちゃったし」
「俺はいいよ。サエキさん、怪我しなくてよかったね」
「うん……カナタは、優しいね」
「優しい? 俺が?」


二秒ほどの間のあとに、サエキが頷いた。
顎が肩に当たって、少し痛い。

優しいね、なんて。
たった今、例えからかうつもりだとしても危害を加える素振りを見せた相手に、なにを言ってんだ、と思った。

サエキの顔は見えない。
ただ少し、抱きつく腕に力が入った。


「優しいじゃん。……こんなことに付き合ってくれて」
「こんなことって?」
「この部屋のこととか、私の死に方のこととか」


カナタは、答えに困った。
少し迷って、カナタは一言だけ呟く。


「優しくなんかないよ、俺は」


そして、サエキの肩に手を乗せる。
軽い力で押して、首に回った腕をほどいた。
相手から触れられていない、というだけで、カナタの落ち着かなかった気分が、少しだけましになる。

サエキと、目が合った。
やはり、濡れたみたいに光っている。
こっちの顔は、きっとほとんど見えていないだろう。
自分がどんな顔をしているかわからないカナタは、夜でよかった、と考えていた。