「ごめんね。人のこと泣かして刃物まで持ち出して、ひどいことも痛いことも散々されたから、少しくらい後悔すればいいと思ったんだよ」
「だからってそんな……、バカじゃないの」


仮に、サエキの考えが全くの勘違いだったとしたら。
カナタが何の遠慮もなく手を出していたとしたら。
それどころか、サエキのトラウマも傷跡もすべて知った上で、あえて再びそれを抉り返すような人間だったとしたら、どうしていたのだろう。

今となってはもしもの話だが、サエキが受けていたかもしれない痛みや恐怖を考えると、言葉はそれ以外に出てこなかった。


「バカだよ」


ぽつり、と、サエキが呟く。


「バカだよ私。この後に及んでまだ、私は、忘れられるのが怖い」
「……」
「言ったでしょ。誰かに覚えててほしいの。変な死に方でもすれば、誰でもいい、あの先輩でもいいから、何かの機会にきっと私を思い出すと思って。」
「あんな奴の記憶に残って、なんになるの。」


サエキは小さく、フフ、と笑った。
いつの間にか、ずいぶん声が近い。
立ち上がって近づいていたことに、その時ようやく気付いた。


「ほんとはカナタがいいんだよ。カナタじゃなきゃやだ」


振り返ろうとした背中になにかが触れて、カナタの動きを止めた。
ぎし、とスプリングが軋む。
抱きついたわけではない、ただカナタの背中に額だけを寄せて、サエキは小さな声で言った。