「や、やだってば」


返事はしない。
肩を強張らせて言うサエキに、首を触られた時に彼女がどんな顔をしているのかを、鏡で見せてやりたいと思った。
怯えと困惑に、恍惚と照れの少し混じった、恐ろしいほど涙の似合う表情を浮かべるのだ。
その度に、カナタの腕に添えた指先に、きゅうと力が入る。
やらしーんだよばか、と心の中で愚痴りながら、サエキの肩に腕を回した。


「落ち着いた?」
「ん」
「それはよかった」


サエキの腕が、カナタの腰に回る。
少し抵抗は感じたものの、やめさせようとは思わなかった。

さっき、どうしようもないほどの衝動を感じた時に、この場でサエキを殺してしまっても構わなかったはずだ。
自分の欲求は満たされるし、サエキの願いも叶えてあげられる。
彼女の顔を見た瞬間、なにが自分を我に返らせたのか、見当もつかない。
薄い肩を抱き締める。
夏より少し伸びた毛先をくしゃりと触る。


「ねえ」


耳のすぐそばで、サエキの声がした。
「ん」と鼻を鳴らして返事をする。


「カナタはさ……、」


横目で見えるのは、彼女の後頭部だけだ。
今どんな顔をしているのかは、わからない。
黙っているとサエキは、「なんでもない」と言って、仕返しのように、カナタのうなじを軽く抓った。