次の日。
優希と2人で廊下を歩きながら、文化祭で使う備品を教室まで運んでいた。
箱の中には紙コップやテープなんかの細かいものがたくさん入っていて、思っていたより重い。文化祭が近いせいか、どこのクラスも準備で騒がしくて、廊下を歩いているだけであちこちから楽しそうな声が聞こえてくる。
「重いー」
「だから半分持つって言ったじゃん」
「水乃も持ってるでしょ」
「そっちの方が重そうだもん」
「大丈夫。もう着くから」
そんな話をしながら教室へ戻ると、まだ慎たちは来ていなかった。
運んできた箱を後ろの机に置いて、優希と一緒に中身を確認する。紙コップを並べながら数えているうちに、私はふと昨日のことを思い出した。
――今日……一緒に帰る?
自分から慎を誘った。
その時は深く考えるより先に口から出ていたけれど、家に帰ってから何度も思い出した。
慎が先に帰るかもしれないと思った時、私は嫌だと思った。もう少し一緒にいたいと思ったから、自分から呼び止めた。
それまでずっと慎の方から誘ってくれていたのに。
「……優希」
「ん?」
紙コップを数えていた優希が顔を上げる。
「ちょっと聞いていい?」
「いいよ」
「……変なことなんだけど」
「何?」
聞こうと思って声をかけたくせに、いざ口にしようとすると急に恥ずかしくなって、私は並べていた紙コップに視線を落とした。
「やっぱいい」
「何それ」
「忘れて」
「そこまで言われたら気になるんだけど」
優希が笑いながら私を見る。
「慎のこと?」
「何で分かるの!?」
「最近の水乃の相談、そればっかだから」
「…………」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
前まで優希に話すことといえば、ほとんど早手のことだった。早手が何を言ったとか、喧嘩したとか、木南さんと一緒にいたとか。
それが最近は、慎のことを話す時間がどんどん増えている。
そのことに気づくと、余計に聞きたかったことが頭から離れなくなった。
「……私さ」
優希の隣の椅子に座る。
「慎のこと、好きなのかな」
口にした瞬間、胸が変な感じになった。
自分で言った言葉なのに、誰かに言われるよりずっと恥ずかしい。
「それ私に聞くの?」
「だって分かんないんだもん」
「私だって水乃じゃないから分かんないよ」
「そこを何とかしてよ」
「無理だよ」
優希が笑う。
「でも、前より慎のこと見てるとは思う」
「……やっぱり?」
「うん。めちゃくちゃ」
「めちゃくちゃ……」
「慎が教室入ってきたらすぐ見るし、慎が女子と話してたら気にしてるし。昨日なんて水乃から一緒に帰ろって言ってたじゃん」
そこまで見られていたらしい。
「聞いてたの?」
「同じ教室にいたからね」
「……恥ずかしい」
「何で?」
「分かんないけど恥ずかしいの!」
優希がまた笑う。
私は机に頬をつけて、目の前の紙コップを指で転がした。
昨日、慎が先に帰るかもしれないと思った時、嫌だった。もう少し一緒にいたいと思った。朝も慎が待っていると思うと少し楽しみで、他の女子と話しているところを見れば、理由も分からないのに気になった。
ひとつひとつなら大したことじゃないと思っていたのに、全部並べてみると、自分でも無視できないくらい慎のことを考えている。
「昨日ね」
「うん」
「慎が先に帰るかもって思ったら、嫌だったの。もうちょっと一緒にいたいって思って……気づいたら呼び止めてた」
「うん」
「朝も慎が待ってるって思ったら、ちょっと楽しみだし」
「うん」
「慎が他の女子と話してるのも……なんか嫌だった」
そこまで言うと、自分でも少し分かってきてしまう。
慎が私を好きだから気になるだけじゃない。
私の方も、慎を気にしてる。
「でも……早手のことも、まだ好きなの」
優希は何も言わず、静かに私を見る。
「昨日も、慎と帰る前に早手の横通ったら……やっぱり苦しかった。木南さんといるの見たら今でも嫌だし、早手と目が合ったら気になるし……話さなくなってからも、教室にいたら探しちゃう時ある」
3週間以上、ほとんど話していない。
それでも10年近く一緒にいた人を、そんな簡単に見なくなることなんてできなかった。
早手の声が聞こえれば気づくし、教室に入ればどこにいるのか無意識に探してしまう。木南さんが早手の隣にいれば、見たくないと思うのに気になってしまう。
そんな気持ちは、まだ全然なくなっていない。
「なのに慎のことも気になるって……変じゃない?」
「別に変じゃないと思うけど」
「でも2人だよ?」
「うん」
「2人のこと好きとか、そんなの……」
「水乃」
優希が途中で止める。
「好きって、そんなに綺麗に入れ替わるものなの?」
「……え?」
「昨日まで早手が100で、今日慎が好きになったから早手が0になる、みたいな」
そんなふうに言われて、私は少し考えた。
早手を好きだった時間は、付き合っていた期間だけじゃない。
ずっと近くにいて、いつから好きになったのかも分からないくらい、気づけば特別になっていた。
そんな気持ちが、別れたからって急になくなるわけじゃないことくらい、本当は私自身が一番分かっている。
「……分かんない」
「私も分かんない」
優希が笑う。
「でも、水乃と早手って10年くらい一緒にいるんでしょ?」
「うん」
「しかも幼なじみで、やっと付き合って、それで別れたんだから。そんな簡単に全部なくなる方が変じゃない?」
何も言えなかった。
忘れようと決めてから、私はずっと早手への気持ちをなくさなきゃいけないと思っていた。
慎のことを意識するようになってからは余計に、慎が気になるなら早手を忘れなきゃいけないんじゃないかと思っていた。
でも。
本当にそうなのかな。
「慎を好きになったら、早手を好きじゃなくならなきゃダメなのかな」
小さく聞くと、優希は少し考えてから首を振った。
「私はそうは思わないけど」
「…………」
「今はまだ、どっちも水乃の本当の気持ちなんじゃない?」
どっちも、本当の気持ち。
その言葉が、すっと胸に入ってきた。
早手をまだ好きなのも本当で、慎と一緒にいたいと思うのも本当。
どっちかが嘘だから迷っているんじゃなくて、どっちも本当だから、私はこんなに分からなくなっているのかもしれない。
「だからさ、無理にどっちかに決めなくていいんじゃない?」
「でも慎、待ってるよ」
「慎だって今すぐ答えろって言ってないんでしょ?」
「……うん」
「じゃあいいじゃん」
そう言われると、確かにそうだった。
慎は早手を忘れろとも、今すぐ俺を好きになれとも言わなかった。
まだ早手を好きなら、それでもいいって言ってくれた。
そう考えると、ずっと急いで答えを出そうとしていたのは、慎じゃなくて私自身だったのかもしれない。
「……慎って、意外と大人だね」
「失礼じゃない?」
「だって慎だよ?」
「本人に言ったら怒るよ」
「言わないよ」
2人で笑っていると、教室の扉が開いた。
「何笑ってんの?」
入ってきたのは慎だった。
「慎!」
「何。俺の悪口?」
「違うよ!」
「今、俺見て焦ったじゃん」
「焦ってない!」
慎が疑うような顔でこっちへ来る。
「優希、何話してた?」
「内緒」
「絶対俺のことじゃん」
「違うってば!」
「水乃分かりやす」
「慎うるさい!」
慎が笑う。
その顔を見ながら、さっき優希に言われたことを思い出した。
――前より慎のこと見てる。
確かにそうなのかもしれない。
慎が教室に入ってきただけで、私はすぐに気づいた。近づいてくれば目で追うし、笑っていれば何となくこっちまで楽しくなる。
それはもう、前みたいにただの友達として見ていた時とは少し違う。
「水乃」
「なに?」
「今日も一緒に帰る?」
いつものように慎が聞く。
昨日は私から誘った。
今日は慎から。
それだけの違いなのに、聞かれた瞬間に少し嬉しくなった。
「……うん」
「じゃあ待ってる」
「うん」
慎が自分の席の方へ歩いていく。
その後ろ姿を見ながら、私はさっき自分で口にした言葉をもう一度思い出していた。
――私、慎のこと好きなのかな。
まだ答えは分からない。
早手のことは今でも好きで、それは嘘じゃない。
でも慎に会えて嬉しいと思うのも、一緒に帰りたいと思うのも、他の女子といると少し嫌だと思うのも、きっと全部嘘じゃない。
だったら今は、無理にどちらかを消そうとしなくてもいいのかもしれない。
早手への気持ちも。
慎に向き始めている気持ちも。
どちらもちゃんと自分の中にあるものとして、もう少しだけ見ていてもいいのかもしれない。
優希と2人で廊下を歩きながら、文化祭で使う備品を教室まで運んでいた。
箱の中には紙コップやテープなんかの細かいものがたくさん入っていて、思っていたより重い。文化祭が近いせいか、どこのクラスも準備で騒がしくて、廊下を歩いているだけであちこちから楽しそうな声が聞こえてくる。
「重いー」
「だから半分持つって言ったじゃん」
「水乃も持ってるでしょ」
「そっちの方が重そうだもん」
「大丈夫。もう着くから」
そんな話をしながら教室へ戻ると、まだ慎たちは来ていなかった。
運んできた箱を後ろの机に置いて、優希と一緒に中身を確認する。紙コップを並べながら数えているうちに、私はふと昨日のことを思い出した。
――今日……一緒に帰る?
自分から慎を誘った。
その時は深く考えるより先に口から出ていたけれど、家に帰ってから何度も思い出した。
慎が先に帰るかもしれないと思った時、私は嫌だと思った。もう少し一緒にいたいと思ったから、自分から呼び止めた。
それまでずっと慎の方から誘ってくれていたのに。
「……優希」
「ん?」
紙コップを数えていた優希が顔を上げる。
「ちょっと聞いていい?」
「いいよ」
「……変なことなんだけど」
「何?」
聞こうと思って声をかけたくせに、いざ口にしようとすると急に恥ずかしくなって、私は並べていた紙コップに視線を落とした。
「やっぱいい」
「何それ」
「忘れて」
「そこまで言われたら気になるんだけど」
優希が笑いながら私を見る。
「慎のこと?」
「何で分かるの!?」
「最近の水乃の相談、そればっかだから」
「…………」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
前まで優希に話すことといえば、ほとんど早手のことだった。早手が何を言ったとか、喧嘩したとか、木南さんと一緒にいたとか。
それが最近は、慎のことを話す時間がどんどん増えている。
そのことに気づくと、余計に聞きたかったことが頭から離れなくなった。
「……私さ」
優希の隣の椅子に座る。
「慎のこと、好きなのかな」
口にした瞬間、胸が変な感じになった。
自分で言った言葉なのに、誰かに言われるよりずっと恥ずかしい。
「それ私に聞くの?」
「だって分かんないんだもん」
「私だって水乃じゃないから分かんないよ」
「そこを何とかしてよ」
「無理だよ」
優希が笑う。
「でも、前より慎のこと見てるとは思う」
「……やっぱり?」
「うん。めちゃくちゃ」
「めちゃくちゃ……」
「慎が教室入ってきたらすぐ見るし、慎が女子と話してたら気にしてるし。昨日なんて水乃から一緒に帰ろって言ってたじゃん」
そこまで見られていたらしい。
「聞いてたの?」
「同じ教室にいたからね」
「……恥ずかしい」
「何で?」
「分かんないけど恥ずかしいの!」
優希がまた笑う。
私は机に頬をつけて、目の前の紙コップを指で転がした。
昨日、慎が先に帰るかもしれないと思った時、嫌だった。もう少し一緒にいたいと思った。朝も慎が待っていると思うと少し楽しみで、他の女子と話しているところを見れば、理由も分からないのに気になった。
ひとつひとつなら大したことじゃないと思っていたのに、全部並べてみると、自分でも無視できないくらい慎のことを考えている。
「昨日ね」
「うん」
「慎が先に帰るかもって思ったら、嫌だったの。もうちょっと一緒にいたいって思って……気づいたら呼び止めてた」
「うん」
「朝も慎が待ってるって思ったら、ちょっと楽しみだし」
「うん」
「慎が他の女子と話してるのも……なんか嫌だった」
そこまで言うと、自分でも少し分かってきてしまう。
慎が私を好きだから気になるだけじゃない。
私の方も、慎を気にしてる。
「でも……早手のことも、まだ好きなの」
優希は何も言わず、静かに私を見る。
「昨日も、慎と帰る前に早手の横通ったら……やっぱり苦しかった。木南さんといるの見たら今でも嫌だし、早手と目が合ったら気になるし……話さなくなってからも、教室にいたら探しちゃう時ある」
3週間以上、ほとんど話していない。
それでも10年近く一緒にいた人を、そんな簡単に見なくなることなんてできなかった。
早手の声が聞こえれば気づくし、教室に入ればどこにいるのか無意識に探してしまう。木南さんが早手の隣にいれば、見たくないと思うのに気になってしまう。
そんな気持ちは、まだ全然なくなっていない。
「なのに慎のことも気になるって……変じゃない?」
「別に変じゃないと思うけど」
「でも2人だよ?」
「うん」
「2人のこと好きとか、そんなの……」
「水乃」
優希が途中で止める。
「好きって、そんなに綺麗に入れ替わるものなの?」
「……え?」
「昨日まで早手が100で、今日慎が好きになったから早手が0になる、みたいな」
そんなふうに言われて、私は少し考えた。
早手を好きだった時間は、付き合っていた期間だけじゃない。
ずっと近くにいて、いつから好きになったのかも分からないくらい、気づけば特別になっていた。
そんな気持ちが、別れたからって急になくなるわけじゃないことくらい、本当は私自身が一番分かっている。
「……分かんない」
「私も分かんない」
優希が笑う。
「でも、水乃と早手って10年くらい一緒にいるんでしょ?」
「うん」
「しかも幼なじみで、やっと付き合って、それで別れたんだから。そんな簡単に全部なくなる方が変じゃない?」
何も言えなかった。
忘れようと決めてから、私はずっと早手への気持ちをなくさなきゃいけないと思っていた。
慎のことを意識するようになってからは余計に、慎が気になるなら早手を忘れなきゃいけないんじゃないかと思っていた。
でも。
本当にそうなのかな。
「慎を好きになったら、早手を好きじゃなくならなきゃダメなのかな」
小さく聞くと、優希は少し考えてから首を振った。
「私はそうは思わないけど」
「…………」
「今はまだ、どっちも水乃の本当の気持ちなんじゃない?」
どっちも、本当の気持ち。
その言葉が、すっと胸に入ってきた。
早手をまだ好きなのも本当で、慎と一緒にいたいと思うのも本当。
どっちかが嘘だから迷っているんじゃなくて、どっちも本当だから、私はこんなに分からなくなっているのかもしれない。
「だからさ、無理にどっちかに決めなくていいんじゃない?」
「でも慎、待ってるよ」
「慎だって今すぐ答えろって言ってないんでしょ?」
「……うん」
「じゃあいいじゃん」
そう言われると、確かにそうだった。
慎は早手を忘れろとも、今すぐ俺を好きになれとも言わなかった。
まだ早手を好きなら、それでもいいって言ってくれた。
そう考えると、ずっと急いで答えを出そうとしていたのは、慎じゃなくて私自身だったのかもしれない。
「……慎って、意外と大人だね」
「失礼じゃない?」
「だって慎だよ?」
「本人に言ったら怒るよ」
「言わないよ」
2人で笑っていると、教室の扉が開いた。
「何笑ってんの?」
入ってきたのは慎だった。
「慎!」
「何。俺の悪口?」
「違うよ!」
「今、俺見て焦ったじゃん」
「焦ってない!」
慎が疑うような顔でこっちへ来る。
「優希、何話してた?」
「内緒」
「絶対俺のことじゃん」
「違うってば!」
「水乃分かりやす」
「慎うるさい!」
慎が笑う。
その顔を見ながら、さっき優希に言われたことを思い出した。
――前より慎のこと見てる。
確かにそうなのかもしれない。
慎が教室に入ってきただけで、私はすぐに気づいた。近づいてくれば目で追うし、笑っていれば何となくこっちまで楽しくなる。
それはもう、前みたいにただの友達として見ていた時とは少し違う。
「水乃」
「なに?」
「今日も一緒に帰る?」
いつものように慎が聞く。
昨日は私から誘った。
今日は慎から。
それだけの違いなのに、聞かれた瞬間に少し嬉しくなった。
「……うん」
「じゃあ待ってる」
「うん」
慎が自分の席の方へ歩いていく。
その後ろ姿を見ながら、私はさっき自分で口にした言葉をもう一度思い出していた。
――私、慎のこと好きなのかな。
まだ答えは分からない。
早手のことは今でも好きで、それは嘘じゃない。
でも慎に会えて嬉しいと思うのも、一緒に帰りたいと思うのも、他の女子といると少し嫌だと思うのも、きっと全部嘘じゃない。
だったら今は、無理にどちらかを消そうとしなくてもいいのかもしれない。
早手への気持ちも。
慎に向き始めている気持ちも。
どちらもちゃんと自分の中にあるものとして、もう少しだけ見ていてもいいのかもしれない。
