【放課後。
私はいつものように部室へ向かうと、練習前の準備を始めていた。
「えーっと、これで全部かなぁ」
机の上に並べたものを確認しながら、今日使うものを一つずつ準備していく。
優希は先生に呼ばれていて、まだ来ていない。
もうすぐみんなも来る時間なのに、今日は早手の姿もなかった。
「水乃」
「あ、達也お兄」
振り返ると、部室の入口に達也お兄が立っていた。
「早手、まだ来てないのか?」
「うん。まだ見てないよー」
「珍しいな」
「ねー。どっかでサボってるのかな」
「ありえるな」
二人で笑いながら、私は準備の続きをする。
達也お兄とは、小さい頃からずっと一緒。
合宿の時はいろいろあったけど、今はこうして前と変わらず普通に接してくれている。
それが私も、きっと早手も、ありがたいと思っていた。
「……あれ?」
ふと時計を見る。
もうすぐ練習が始まる時間だ。
「ほんとに遅いね」
「なんかやらかしたんじゃねぇの?」
「えー?」
その時。
ガチャッ。
勢いよく部室の扉が開いた。
「……最悪」
聞き慣れた声に振り返る。
「あ、早手!」
鞄を肩にかけた早手が、いかにも機嫌が悪そうな顔で入ってきた。
「遅い!」
「うるせぇ」
「早手くん、遅刻です」
「まだ始まってねぇだろ」
「もう始まるもん」
「間に合ってんじゃん」
悪びれる様子もなく鞄を置く早手に、私は腰に手を当てた。
「遅れた罰としてランニング五周!」
「は?」
「決定です」
「勝手に決めんな」
「マネージャー命令です」
「お前にそんな権限ねぇだろ」
「あるもん」
「ねぇよ」
「じゃあキャプテンに決めてもらおう。ね、達也お兄?」
話を振ると、達也お兄は少し考えるような顔をしてから頷いた。
「五周だな」
「達也兄!」
「キャプテン命令だ」
「ほらー!」
「お前絶対あとで覚えとけよ」
「なんで私なのー!」
達也お兄が笑いながら立ち上がる。
「俺、先に体育館行ってるわ」
「あ、達也お兄。私も行く。もうほとんど終わって――」
そう言って後を追おうとした瞬間。
後ろから、手を掴まれた。
「わっ」
引かれた手に振り返る。
私の手首を掴んでいたのは、もちろん早手だった。
「お前はだめ」
「え?」
「まだ終わってねぇじゃん」
「あとちょっとだもん。体育館行くついでに――」
「じゃ、そのちょっと終わらせてから来いよ」
「むぅ……」
なんなの。
さっきまで遅刻してきた人に言われたくない。
「じゃあ先行ってるぞー」
「はーい!」
達也お兄が部室を出ていく。
扉が閉まる音がして、部室には私と早手だけが残った。
「もう。早手のせいで遅くなったじゃん」
「俺関係ねぇだろ」
「あるよー」
掴まれていた手を振りほどいて、残っていた準備を片づける。
「ていうか、どこ行ってたの?」
「先生に捕まってた」
「先生?」
「課題出してなかったから」
「えっ」
思わず振り返る。
「また!?」
「またって何だよ」
「この前も英語の課題出してなかったじゃん!」
「忘れてただけ」
「それを出してないって言うの!」
早手は面倒くさそうに私から目を逸らした。
「で、来週一週間、補習」
「…………え?」
「月曜から金曜まで。放課後」
「一週間も!?」
「うるせぇな」
「だって一週間だよ!?」
どれだけ課題を出してなかったんだろう。
呆れて早手を見ると、本人はまったく反省しているようには見えない。
「部活より補習優先しろって言われた」
「じゃあ来週、早手は部活遅れて来るんだ」
「いや」
「え?」
「行かねぇつもり」
…………。
「だめだよ!!」
「うるさ」
「行きなさい!」
「めんどい」
「自分が課題出してなかったんでしょー!」
「一週間もやる必要ねぇだろ」
「必要あるから言われてるの!」
「……お前、先生側なの?」
「当たり前でしょ!」
「彼氏より先生取んのかよ」
「そういう問題じゃありません!」
まったくもう。
来週になったら、ちゃんと補習に行ったか確認しなきゃ。
「ほら、早手も早く準備して。ランニング五周あるんだから」
「まだ言ってんの?」
「キャプテン命令ですー」
そう言って、残っていたものを持ち上げる。
これで準備も終わり。
早く体育館に行こうと扉へ向かった。
「じゃあ行こ――」
けれど。
扉に手を伸ばすより先に、早手が私の前に立った。
「……何?」
「お前さ」
「ん?」
「二人の時くらい、それやめろよ」
「それ?」
何のことか分からなくて首を傾げる。
早手は少し不機嫌そうな顔をした。
「マネージャーみたいにすんの」
「だって私、マネージャーだもん」
「知ってる」
「じゃあいいじゃん」
「よくねぇ」
そう言いながら、早手が一歩近づいてくる。
「な、なに」
「別に」
「じゃあ近づかないでよ」
私が一歩下がると、早手も一歩。
もう一歩下がれば、また一歩。
なんでついてくるの。
「早手、近いってば」
「お前が逃げるからだろ」
「逃げてないもん」
「じゃあ止まれば?」
「…………」
そんなこと言われたら、止まれるわけない。
そのまま後ろへ下がっていると、背中が扉に当たった。
「あ……」
逃げる場所がなくなった。
横から扉を開けようと手を伸ばした瞬間、早手の腕が先に伸びて、私のすぐ横の扉についた。
「ちょっ、早手!」
「何」
「みんな待ってるよ」
「まだ大丈夫だろ」
「大丈夫じゃないよ。早手はランニングも――」
「マネージャーさん」
急にそう呼ばれて、言葉が止まる。
「……なに」
早手が少しだけ顔を近づけた。
「何赤くなってんの?」
「なってない!」
「なってるけど」
「なってないもん!」
胸を押して離れようとする。
だけど早手は全然動かない。
「もう、どいてよ」
「嫌」
「早手!」
顔を上げると、すぐ近くで目が合った。
さっきまでからかうように笑っていたくせに、今はじっと私を見ている。
その目を見た瞬間、なぜか動けなくなった。
「…………」
早手の顔が、ゆっくり近づいてくる。
何をされるのか分かっているのに、逃げなきゃと思っていたはずなのに。
見つめられたまま、身体が動かなかった。
そっと、唇が重なる。
「…………っ」
一度離れたと思ったのに。
早手は私の顔を確かめるように見つめてから、もう一度、優しく唇を重ねた。
胸の奥が一気にうるさくなって、何を言おうとしていたのかも全部飛んでいく。
「…………」
「…………」
唇が離れても、すぐには顔を上げられなかった。
「……水乃?」
「…………早手」
「ん?」
私はぎゅっと拳を握った。
「ランニング十周!!」
「は!?」
早手の胸を一発叩いて、その横をすり抜ける。
「おい、待て! なんで増えてんだよ!」
「知らない!!」
顔が熱い。
絶対、真っ赤になってる。
それを見られたくなくて、私はそのまま部室を飛び出した。
「水乃!」
後ろから早手の声が聞こえたけど、振り返らない。
もう。
早手のばか。
一人残された部室から、小さく笑う声が聞こえた。
「……十周はねぇだろ」
私はいつものように部室へ向かうと、練習前の準備を始めていた。
「えーっと、これで全部かなぁ」
机の上に並べたものを確認しながら、今日使うものを一つずつ準備していく。
優希は先生に呼ばれていて、まだ来ていない。
もうすぐみんなも来る時間なのに、今日は早手の姿もなかった。
「水乃」
「あ、達也お兄」
振り返ると、部室の入口に達也お兄が立っていた。
「早手、まだ来てないのか?」
「うん。まだ見てないよー」
「珍しいな」
「ねー。どっかでサボってるのかな」
「ありえるな」
二人で笑いながら、私は準備の続きをする。
達也お兄とは、小さい頃からずっと一緒。
合宿の時はいろいろあったけど、今はこうして前と変わらず普通に接してくれている。
それが私も、きっと早手も、ありがたいと思っていた。
「……あれ?」
ふと時計を見る。
もうすぐ練習が始まる時間だ。
「ほんとに遅いね」
「なんかやらかしたんじゃねぇの?」
「えー?」
その時。
ガチャッ。
勢いよく部室の扉が開いた。
「……最悪」
聞き慣れた声に振り返る。
「あ、早手!」
鞄を肩にかけた早手が、いかにも機嫌が悪そうな顔で入ってきた。
「遅い!」
「うるせぇ」
「早手くん、遅刻です」
「まだ始まってねぇだろ」
「もう始まるもん」
「間に合ってんじゃん」
悪びれる様子もなく鞄を置く早手に、私は腰に手を当てた。
「遅れた罰としてランニング五周!」
「は?」
「決定です」
「勝手に決めんな」
「マネージャー命令です」
「お前にそんな権限ねぇだろ」
「あるもん」
「ねぇよ」
「じゃあキャプテンに決めてもらおう。ね、達也お兄?」
話を振ると、達也お兄は少し考えるような顔をしてから頷いた。
「五周だな」
「達也兄!」
「キャプテン命令だ」
「ほらー!」
「お前絶対あとで覚えとけよ」
「なんで私なのー!」
達也お兄が笑いながら立ち上がる。
「俺、先に体育館行ってるわ」
「あ、達也お兄。私も行く。もうほとんど終わって――」
そう言って後を追おうとした瞬間。
後ろから、手を掴まれた。
「わっ」
引かれた手に振り返る。
私の手首を掴んでいたのは、もちろん早手だった。
「お前はだめ」
「え?」
「まだ終わってねぇじゃん」
「あとちょっとだもん。体育館行くついでに――」
「じゃ、そのちょっと終わらせてから来いよ」
「むぅ……」
なんなの。
さっきまで遅刻してきた人に言われたくない。
「じゃあ先行ってるぞー」
「はーい!」
達也お兄が部室を出ていく。
扉が閉まる音がして、部室には私と早手だけが残った。
「もう。早手のせいで遅くなったじゃん」
「俺関係ねぇだろ」
「あるよー」
掴まれていた手を振りほどいて、残っていた準備を片づける。
「ていうか、どこ行ってたの?」
「先生に捕まってた」
「先生?」
「課題出してなかったから」
「えっ」
思わず振り返る。
「また!?」
「またって何だよ」
「この前も英語の課題出してなかったじゃん!」
「忘れてただけ」
「それを出してないって言うの!」
早手は面倒くさそうに私から目を逸らした。
「で、来週一週間、補習」
「…………え?」
「月曜から金曜まで。放課後」
「一週間も!?」
「うるせぇな」
「だって一週間だよ!?」
どれだけ課題を出してなかったんだろう。
呆れて早手を見ると、本人はまったく反省しているようには見えない。
「部活より補習優先しろって言われた」
「じゃあ来週、早手は部活遅れて来るんだ」
「いや」
「え?」
「行かねぇつもり」
…………。
「だめだよ!!」
「うるさ」
「行きなさい!」
「めんどい」
「自分が課題出してなかったんでしょー!」
「一週間もやる必要ねぇだろ」
「必要あるから言われてるの!」
「……お前、先生側なの?」
「当たり前でしょ!」
「彼氏より先生取んのかよ」
「そういう問題じゃありません!」
まったくもう。
来週になったら、ちゃんと補習に行ったか確認しなきゃ。
「ほら、早手も早く準備して。ランニング五周あるんだから」
「まだ言ってんの?」
「キャプテン命令ですー」
そう言って、残っていたものを持ち上げる。
これで準備も終わり。
早く体育館に行こうと扉へ向かった。
「じゃあ行こ――」
けれど。
扉に手を伸ばすより先に、早手が私の前に立った。
「……何?」
「お前さ」
「ん?」
「二人の時くらい、それやめろよ」
「それ?」
何のことか分からなくて首を傾げる。
早手は少し不機嫌そうな顔をした。
「マネージャーみたいにすんの」
「だって私、マネージャーだもん」
「知ってる」
「じゃあいいじゃん」
「よくねぇ」
そう言いながら、早手が一歩近づいてくる。
「な、なに」
「別に」
「じゃあ近づかないでよ」
私が一歩下がると、早手も一歩。
もう一歩下がれば、また一歩。
なんでついてくるの。
「早手、近いってば」
「お前が逃げるからだろ」
「逃げてないもん」
「じゃあ止まれば?」
「…………」
そんなこと言われたら、止まれるわけない。
そのまま後ろへ下がっていると、背中が扉に当たった。
「あ……」
逃げる場所がなくなった。
横から扉を開けようと手を伸ばした瞬間、早手の腕が先に伸びて、私のすぐ横の扉についた。
「ちょっ、早手!」
「何」
「みんな待ってるよ」
「まだ大丈夫だろ」
「大丈夫じゃないよ。早手はランニングも――」
「マネージャーさん」
急にそう呼ばれて、言葉が止まる。
「……なに」
早手が少しだけ顔を近づけた。
「何赤くなってんの?」
「なってない!」
「なってるけど」
「なってないもん!」
胸を押して離れようとする。
だけど早手は全然動かない。
「もう、どいてよ」
「嫌」
「早手!」
顔を上げると、すぐ近くで目が合った。
さっきまでからかうように笑っていたくせに、今はじっと私を見ている。
その目を見た瞬間、なぜか動けなくなった。
「…………」
早手の顔が、ゆっくり近づいてくる。
何をされるのか分かっているのに、逃げなきゃと思っていたはずなのに。
見つめられたまま、身体が動かなかった。
そっと、唇が重なる。
「…………っ」
一度離れたと思ったのに。
早手は私の顔を確かめるように見つめてから、もう一度、優しく唇を重ねた。
胸の奥が一気にうるさくなって、何を言おうとしていたのかも全部飛んでいく。
「…………」
「…………」
唇が離れても、すぐには顔を上げられなかった。
「……水乃?」
「…………早手」
「ん?」
私はぎゅっと拳を握った。
「ランニング十周!!」
「は!?」
早手の胸を一発叩いて、その横をすり抜ける。
「おい、待て! なんで増えてんだよ!」
「知らない!!」
顔が熱い。
絶対、真っ赤になってる。
それを見られたくなくて、私はそのまま部室を飛び出した。
「水乃!」
後ろから早手の声が聞こえたけど、振り返らない。
もう。
早手のばか。
一人残された部室から、小さく笑う声が聞こえた。
「……十周はねぇだろ」
