「あたし達は、どこにいるの……?」

菜摘が恐る恐る聞いた。

「君たちは、私のいる世界に来ている」

そうなんだー、と、素直に納得など出来ない。

周りは見慣れた公園だし、でも誰もいないことが、気味が悪い。

「薬……て、何が必要なの……?」

菜摘はミシェルと話を合わせ始めていた。

「まず、ディート。国王は今、マラリアのような熱にかかっているが、仕事は山積みだ。問題は、蚊なのだ」

こんな大袈裟な出会いをして、蚊が問題なんて、なんだか調子が狂った。

それ以前に、あたしはディートが何かわからなかった。

「菜摘、ディートて何?」
「虫除け、かな?」

菜摘も自信が無いようだ。

「そう、虫除けさ。君達の世界では、ディートは除外されつつあるが、まだまだ売られている」

あたしは、自転車のカゴに入れたままにした、虫除けスプレーの缶を思い描いてみた。

「ティーツリーて、書いてあったような……?」
「いや、それではなく、ディートが欲しい」

そうは言われても、ではどうしろと言うのか?

「蚊が問題なら、蚊取り線香でも、虫除けでも、何でもあげるから……!」

あたしは破れかぶれな気持ちになってきた。

さっさと話を終わらせ、ミシェルとおさらばしたかった。

それに、話を合わせ始めようとする菜摘も心配だ。

菜摘はきっと、直哉のことを話して、頭のネジが少し狂ったに違いない。

「調べたよ。この時代には、たくさんの虫除けが出てるようだね。価格も抑えられている」

「でもね、虫除けなんかいくらあったって、その国王の不治の病は治らないと思うからね!」

「そうさ、ディートで治るわけない。そんなことはわかっている。治す為には、もう一つ、ある薬品の化学式が欲しいのだ。それさえわかれば、私なら、この世界で調合して、薬を持って帰れる」

あたしは、化学式と聞いた瞬間、理系嫌いも加わって、ますます逃げたくなった。

薬の化学式なんか、関わり合いたくない。

「化学式は、ネットで見たらわかるんじゃない?」
「やだ、菜摘、やめてよ!」
「だって、あたし達、協力しないと、いつまでもこのままじゃない?」

ハッとした。

そうだ、さっきまで、あんなに人通りがあった筈の、この界隈の静けさといったらない。

本当に、変な世界にいるの、あたし達……?

「君達を、君達の時間で、10分だけなら、元の世界に帰せる。頼む、ディートを用意してほしい……」
「えっ!10分!?」

あたしの大声の横で、菜摘もさすがに青ざめていた。

「私はもう、時空の波の歪みを受けすぎて、すぐには行けないのだ。だが、君達なら……」

あたしは話を遮った。

「10分て、何!?あたし達、帰れないの!?」

ミシェルは心底、申し訳なさそうな顔をしていた。

「こちらの世界には、予言の家という、話をする家がある。予言の家に行けば、きちんと帰せる方法がわかる」

それを聞いて、安心した。と同時に、ミシェルの話を信じ始めてる自分に気付いた。

「沙奈、仕方ないね……?」
「そう、だね……。ミシェル、用が済んだら、必ず帰してよね?」
「当然だ。君達は、国王の命の恩人だ」

あたし達は、ミシェルから、何が必要なのかを聞き、1万円札を渡された。

「私は錬金術師でもあるから、金を工面するのは得意だ。だが、その金を持って、約束を破らないでほしい。悪意を受け継いだ金は、やがて君達に復讐をするから……」

ミシェルは優しく諭すように言った。

勿論、あたし達も、そんなことは考えていない。

やがて、ドアの前に立たされた。

「10分が近付くと、体が透け始めるから、完全に消える前に、またこのドアの前に来て、この硬貨を下に落としてほしい。そうすれば、またこの世界に戻るから」

ミシェルから100円玉を受け取り、何やら呪文のようなものを呟かれると、あたし達はまた落ちた。

次に気付くと、人通りの多い公園にいた。

あたし達は互いの顔を見合わせた。

夢だったのかと思いながら、菜摘に、
「と、とりあえず、急ぐ……?」
と、聞いてみた。

あたしの手には100円玉と1万円札が握りしめられていた。

「……うん、急ごう?」

菜摘もぼんやりした顔をしながらも、歩き始めた。

あたし達は自転車に乗り、近所のコンビニで言われた品物を、あるだけ購入した。

レジ袋いっぱいにスプレー缶が入り、ガチャガチャ音を立てながら、公園に戻った。

今度はスマホをタップし、言われた薬品の化学式を探す。

化学式はすぐに見つかったが、メモが出来ないことに気付いた。

「やば……絶対無理、覚えてられない……」

あたしはスマホに表示される時間を見ながら、焦った。

「沙奈、レシート貸して!」

菜摘がレシートを持って、通りすがりの人に書くものを借りに行こうとした。

なりふりかまっていられなかった。

「沙奈?」

公園沿いの歩道から、直哉が自転車を足で止めながら、声をかけてきた。

「何やってんの?」

そうだ、理系の直哉がいる!

あたしは神様ありがとう!と心で呟きながら、直哉を必死で手招いた。

「菜摘!直哉に覚えてもらうから!」

人混みに入ろうとする菜摘を呼び止めながら、スマホに映っている化学式を直哉に見せた。

菜摘も戻り、何が何だかわからない直哉に、説明抜きで、化学式を覚えてもらった。

「早く、時間がない!」

あたしと菜摘のネイルされた爪先が、まるで透明のフレンチネイルのように消え始めてきた。

あたしは菜摘と直哉の手を掴み、ドアの前に立ち、100円玉を真下に落とした。

自分達も落ちていく感覚が止まると、また人通りの無い公園にいた。

帰ってこれたのかな……?

「ありがとう」

ミシェルは目の前にいた。が、すぐに怪訝な顔つきになった。