器具の揃っていない男子の厨房は、それでも楽しげな音を立てて、温かい湯気がのぼり始める。小麦粉が白くまだら模様に積もった調理台と、所々に小麦粉がこびりついた笊(ざる)、菜ばし…。白い小さなパン皿の上に積み上げられていくホットケーキ。まるで、そう、ゲームのように、ホットケーキを積んでいく。自然に零れてしまう笑いが大沢の横顔を悪戯っぽく彩った。自分を見守っている湖山の、優しげな、楽しげな、その微笑をどうしてもいつまでも見ていたいと切実に思う。

 プツプツと穴のあくホットケーキをひっくり返して、焼き色を見ると満足したり、不満足だったりする。まるで占いみたいだ、と大沢は思う。それを一枚、また一枚とパン皿に積む自分がまるで、縁起でもないけれど賽の河原で石を積む親不孝をした子どもみたいだな、と思えたりする。どうせ親不孝なのだ、こんな風に同性を愛してしまう男に生まれた自分は。だけどいまはそんなことどうでもいい。親に会いたくて石を積む子どものように、自分は湖山を思いながらホットケーキを積む。そしてその自分を見守っているのは、少なくとも、鬼ではなくて、自分の愛する人なのだから。

 振り向くと湖山と目が合った。
「美味(うま)そうだね」
 と湖山が笑った。東側の窓からあの日の朝のように朝日が湖山に当たって後光がさしているみたいに見えた。
「美味いよ、ぜったい。」
 大沢はそう答えて、どうしてだろう、湖山が少し滲んで見えた。

 最後の一枚のホットケーキを積み上げて、パン皿をもう2枚。マーガリン。牛乳。グラスを二つ。湖山と手分けしてリビングに運ぶ。

 温かな湯気が昇るホットケーキを一枚、湖山の前のパン皿に乗せ、もう一枚取ると自分のパン皿に乗せて、ふと、自分の方に乗せたホットケーキの焼き色のほうがずっと美味しそうに見えることに気付いた大沢はパン皿を入れ替えた。

「何?」
 湖山は牛乳パックを中途半端に傾けて尋ねる。
大沢は、牛乳パックを受け取り、二つのグラスに牛乳を注ぎながら言った。
「そっちの方が美味しそうに焼けてる。」

 湖山は自分の方へやって来たホットケーキと、大沢の目の前にあるホットケーキを見比べると、自分のホットケーキを半分にして大沢の皿に乗せ、大沢の前のホットケーキも半分にして自分の方に乗せた。
「これで平等。」
 テーブルの下のティッシュを一枚取りながら、得意げに笑って湖山が言った。
「はんぶんこ、な?」
 湖山を見つめる大沢に、重ねてそう言って、首を傾げた湖山の前髪が揺れた。どうしてこの人はいつもこうやって俺を離れさせなくするんだろう。大沢の胸はもう本当に潰れそうだ。まるで湖山の手が自分の心臓に伸びて、そしてそれをぎゅうっと握りつぶすように。湖山が与えてくれるものなら、何だって、そう、痛みですら愛しいと感じる。そして、コントロールできなくなった想いが大沢を殆ど無意識に動かす。

 左手の親指と人差指を丁寧にティッシュで拭き取っている湖山の手がふと止まる。胡坐をかいていた大沢は片膝をついてテーブル越しに長い腕を伸ばした。湖山と同じカメラを持ってもそのカメラが少し小さく見えるほど大きな大沢の手は、滑らかな湖山の頬を滑らすように撫ぜて通り過ぎて、小さな頭を抱き寄せるとその腕(かいな)の中におさめた。
 腕の中で、湖山が少しだけ身じろいだのが分かった。そして、息を吸って止めたのが分かった。大沢がいま湖山を腕(かいな)に抱いてその髪から、その肩から立ち上る湖山の匂いを嗅ぎ取ったように、湖山は大沢の匂いを嗅ぎ取っただろうか?
 たとえば、酔いつぶれた湖山に肩を貸すとき、たとえば、湖山の部屋のドアを開けた瞬間に、ぐらりと立ち眩みがするみたいな気持ちになる。たとえば、酩酊した湖山が大沢の肩にすがりつくように寄りかかるときに、たとえば、疲労に項垂れた湖山が大沢の赤い車の助手席のドアを開ける度に、いつだって湖山の事ばかりを考えている大沢の想いがそこに漂っているのではないか。その匂いは湖山の胸をどんな風に締め付けるだろうか。あるいは少しも湖山を戸惑わせたりすることもないのだろうか。

 テーブルに手をついて支えている湖山の腕に力が入った時、大沢はゆっくりと腕を開いた。湖山の細い両の肩を大きな手で掴んで、戸惑った湖山の表情を見たとき、やっと大沢は我に返った。


 零れる想いを胸の中にもう一度押し戻すように、両掌で目を覆った。自分の肩が小刻みに震えているのが分かった。何かを言い出しそうになる唇が、少し戦慄(わなな)いていた。

「大沢…?泣いてるの…?」
 零れた問いに湖山自身が少し驚いているのだ。後悔したようにちいさくひくりと息を吸い込んで、湖山はもうそれ以上何も言わなかった。

答えたくないなら、答えなくてもいい。
言いたくないなら、言わなくてもいい。
泣いていても、泣いていなくても、泣いているなら、涙の訳も。

その沈黙は、きっとそう言っていた。


『はんぶんこにしよう』

もう一度、そう言ってくれないか。
辛いなら、その辛さも、
悔しいなら、その悔しさも、
切ないなら、その切なさも、
そしてもしも嬉しいならその嬉しさも
打ち震える程の喜びも、
何もかも。
何も、かも。

何もかもを、はんぶんこにしよう?と。


「なぁ…、食べよう?」
 湖山がそうっと言う。その言葉に顔を上げてみると、湖山は細い指先にはんぶんこにしたホットケーキを持って困ったように微笑んでいた。

 きっと真っ赤な目をしているだろう、そう思いながら無理に笑った。
それでも、ホットケーキを一口噛み締めて、確かに辛いだけではないのだと湖山には分かるだろうか。

「うまいな…」
 湖山は誰にともなく言った。
「ん…」
 大沢は短く答える。
「今度はさ、俺にやらせてよ。すんげー美味いの、食べさせてやるから」
 湖山がそう言うと、大沢は片眉を上げて小さく笑った。
「バカにしてるな?」
「そんなことない」

 少しずつでいい。
 色んなことを分け合いながら、いつか、何もかもを分け合っていたね、と笑える日が来るなら、それで。
はんぶんこ、という言葉を噛み締めてふたりは今温かいホットケーキに溶けるマーガリンを舌で掬う。言い出せない言葉が舌先で踊っていた。



ホットケーキ番外篇 「はんぶんこ」 終わり









あとがきめいたもの++++++++++
  ・・・を、書き直した時に消してしまった自分のアホさ加減に溜息が出ちゃうわ。
  スナック富士子を書いていたら、あんまりにも酷く重苦しく筆が止まってしまい、なんとなく書きたい衝動は、でも、ふつふつと胸の中に在って、そうか、それなら、と、どうしても幸せなカップルが書きたくなった。
  自分の書いたカップルの中ではこの二人が一番幸せに近いところにいるのかな、と書いて見て、なるほど、BL作品に番外編やら続編やらスピンオフやらが多いのも頷けるほど、このカップルが自分にとってとても愛着のある二人だなあと改めて思う。新しいキャラを作り出すのが面倒とか、そういうことじゃないww あ、それもあるのか??
  大沢くんにはいろいろな問題がまだ残っているし、それでもこの二人に幸せになって欲しいよ、と思う私は多分また続きか番外編を書くような気がするのでどうか、お付き合いの程よろしくお願い致します。

夏 小奈津 拝
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