「ど、どうぞ」

さきほどのシミュレート通り、縁はテーブルに着いた二人にコーヒーを出すと、コーヒー豆と一緒に買ってきたクッキーを皿に並べて二人の前に置く。当初は門馬が一人で来ると思っていたが、後で自分も食べようと多めに買っておいたのが功を奏した。自分の分が減ってしまったのは、もう諦めがついているので気にしない。

「ありがとうございます」

 なめらかな声を滑らせて少年が微笑んだその顔は、少しばかり人なつっこい印象を縁に与えた。髪が真っ黒だからか、肌の色が余計白く見えてほんの少しだけだが不健康そうな空気を纏っている。
 クッキーを摘む指は男の子にしては細く、女の子のようだ。玄関先でもかなりの大柄な門馬の隣に並んでいたから小さく見えていたのかと思いきや、身長は女性の平均程度の縁より数センチ大きいくらいで、男性の中では低いくらいである。

(あれだ。森ガールっぽい…)

 そしてどう見ても門馬の息子には見えなくて、縁は尚更首を傾げる。

「すいません。お砂糖とミルクを二つずつ頂けますか? 」

 不意に少年が縁に声を掛けた。そこでようやくミルクと砂糖を出していなかったことい気がつく。

「あっ、すいませんでした。はい、どうぞ」

 少年はどう見ても未成年だ。コーヒーではなく紅茶の方がよかったのかもしれない。でも、少年が来ることは縁にとって不足の事態なのだ。その辺りはどうにか我慢して頂こう。縁は少年の前に砂糖二本とコーヒーフレッシュを二つ置いた。すると少年はそれを丸ごと門馬の方へと寄せる。門馬に開けてもらうつもりなのかと思っていたら、門馬は舌打ちを一つして、少し恥ずかしそうに全てを自分のコーヒーカップへと入れた。まさか彼が必要としていたなんて思わずにポカンと口を開けていたら、少年が心底おかしそうにクスクスと笑った。

「やっぱり驚きました? 門馬さん、こう見えて甘党なんですよ」

 少年はまだ小さく笑いながら、緩く着たカーディガンの袖から伸びる白い指で門馬のことを指さしている。門馬は顔を少し赤くしながらザラザラの声で無愛想に「煙草やめてから、少しな」なんて言い訳をした。見かけによらず結構可愛い人なのかもしれないと、縁は少し肩の力を抜く。


「えっと、砂糖とミルク、どうしますか? 」

 縁は今度はミスをしないようにと、少年に聞いてみた。すると少年は少し迷ってから申し訳なさそうに眉を下げて、「じゃあ…氷を下さい」と申し出てきた。縁は首を傾げる。ホットコーヒーでは暑い時期ではない。単純に、アイスコーヒーが飲みたいのだろうか。
 
 縁は少し困惑しながら、もう一つコーヒーカップを食器棚から取り出し、その中に数個氷をいれて少年の前に置いた。少年はやはり人なつっこいような笑顔でお礼を言うと、なんと氷が入ったカップの中に自分のコーヒーを注いだ。
 砂糖もミルクも入っていない、かなり薄くなっているであろうコーヒー。そしてそれを飲んで一言、美味しいです。と呟いた。縁はそこでも、目を丸くせざるを得なかった。
 

「二人揃ってイチャモンつけて悪いな。こいつはこいつで極度の猫舌なんだ」

 
 門馬が片手を上げて謝罪の意を表すと、やはり横の少年が吹き出す。その様を睨んで返した門馬に、少年は「だってこんな風に謝る門馬さんなんてなかなか見れないよ」と、また肩を震わせた。二人は旧知の仲なのだろうか。親子ではなさそうだが仲の良い二人である。しかし、彼らの関係性は残念ながら縁には掴めない。そもそも何故この少年は今日ここに来たのだろう。その辺りの関係性もサッパリだった。


「さて、そろそろ本題に入らせてもらってもいいか?」

 門馬がコーヒーを一口、クッキーを一つかじった所で、話の流れを引き戻した。縁はまた一つ返事をしながら両手を膝の上に乗せる。そこで縁は本来の目的を忘れそうだったことに気がつく。今日彼らは図書館屋敷について話をしに来たのだ。 
 なんとか巧い事を言って警察に管理してもらえないかを画策している縁にとってはここからが正念場である。無意識に、ゴクリと生唾を飲んだ。

「まぁ、なんとなく察してるとは思うが、正式な本邸の管理者だった兵藤夫妻が海外に行ってしまったということで、必然的に国内に残っているお前さんに管理者の権利が譲渡されるわけだが…お前さんは若いし、今年就職したんだってな。だから管理を一人で行っていくのは大変だろうと兵藤の奥方…お前さんのばあさんから、直接警察に申し出があったんだ」。

 縁はま目を少しばかり見開いた。まさかおばあちゃんがそんな所にまで気を回してくれているとは思わなかったからだ。

「だが、警察の方で必要な書類、書籍関連は引き上げちまったから正直こっちでは管理が難しい状態ではあるんだ。だけど兵藤家には昔から警察は世話になっている上、もう必要ない書類といえど過去の情報が記載されたものもまだ残っている、と」

 門馬がコーヒーで喉を湿らすタイミングで、縁もコーヒーを口にした。砂糖が一つに、ミルクが二つ、門馬ほどではないしろ、甘めのコーヒーは染み込むように喉に馴染む。

「そこで、こちらで勝手にだが協議させてもらった結果、しばらくはこいつの育成に本邸を使わせて頂くことで、話が決まった」

 こいつ、と門馬が指を指した先には、氷で薄くなっているであろうぬるいブラックコーヒーを啜る少年がいた。

「育成…?この子の、ですか…? 」

 少年は、やはりどう見たって未成年だ。顔つきがやや甘いから幼く見られるタイプではあるだろうけど、まだ14、5くらいにしか見えない。指を指されたのに気がついたのか門馬の手をやんわりと払いのけ、縁に微笑んだ。その表情は彼の雰囲気同様、やや甘い。

「ああ。…そうか、お前自己紹介まだったっけか」

「うん」

「そういうことは早く言えよ。気がついてたんだろ」

「僕みたいな子供が、大人の会話に口を挟んじゃいけないと思って」

「よく言うぜ」

少年はまたクスクスと笑うと、その細めた目のまま、また縁を見た。

「あーっと、こいつの名前な。ハチヤ エニシ。妙に落ち着き払ってやがるがまだ16歳のがきんちょだ。よろしく頼む」

「よろしくお願いします」

 門馬の紹介に合わせて、少年は静かに頭を下げた。つられて縁も膝に手を置いたまま頭を下げれば、右手がズボンのポケットに四角い膨らみがあるのを思い出した。念のため、最近手に入れた社会人の象徴、名刺を忍ばせていたのである。またもやつい最近覚えた名刺の渡し方をぎこちなく実行すれば、渡した名刺を見た門馬は眉間に皺を寄せ、エニシという名の少年は物珍しそうに目を輝かせた。


「お前さん…ユカリって、“縁”って書くのか? 」

「はい。縁日の縁です、けど…」

 すると不意に少年が門馬から手帳とボールペンを借り、左手に握ったそれを楽しそうに滑らせてからそのページを破いて縁に見せてきた。門馬の怒声のBGM付きで見たそのメモには、少しかすれたボールペンの文字で『八矢 縁』と書かれていた。思わずそのメモを取ってみてみるも、そこにはやはり縁、と書かれている。

「君も、名前、同じ字なんだ…」

「うん。読み方は違うけど、すごい偶然」

ふふふ、とエニシがカーディガンの袖で口元を隠しながら笑った。

「エニシって名前、珍しいね」

「そうかな? 変ですか? 」

「ううん。すごく素敵だと思うよ」

「そう言ってもらえると嬉しいな。じゃあ僕のこと、これからエニシって呼んでください」

「わかったわ。エニシ君、ね」

「はい」

エニシは今度は口元を隠さずに甘く笑った。16にしては無邪気さに欠けるような気がしたユカリの勘がピタリと当たっていたことを知るのは、もうずっと先の話になるのである。