ー今日は関東地方に強風警報が出ております。春一番が吹き荒れるでしょう。通勤、通学の際は交通機関に影響が出ている可能性がありますのでご注意ください。ー

 天気予報を美しく吊り上がった口角で伝えるお天気お姉さんの、レモンイエローのカーディガンをぼんやり見つめながら、縁は目の前にあるカレンダーに書かれた赤い文字をもう一度横目で見た。そこには縁の決して女性らしいとは言えない流れるような文字でこう書かれていた。

“警察13時”

 そのままゆっくりと目線を上に持ち上げれば、母が気に入っていた大きな木製の時計が12時50分を告げていた。キッチンからはわざわざ買いに走ったコーヒー豆とお湯がいっしょくたにコポコポと音を立てている。普段はスティックタイプのカフェオレで済ませてしまう縁でも、今回ばかりは流石に気を遣った。

 あと10分程でこの図書館屋敷にやってくるのが警察と聞いてからは、その切迫感もひとしおなのである。


 事の発端は、4日前に来た父からの一通のメール。

 そのメールは、過剰過ぎるほどにに縁を心配する文面で彩られていた。元気でやっているか。風邪は引いていないか。会社はどうだ、うまくやっているのか。セクハラには逢っていないか。

 目線を意識的に下へずらさないと文字が追えない程の量のメールを
、未だかつて父が寄越していたであろうか。いや、ない。

 縁は一瞬、そのメールは父のアドレスで母が打ったものではないのかかとさえ思った。しかし話のつづり方や、母についての記述があることから間違いなく送信者は父である。
 とりあえずその質問だらけな文章は一蹴して、たった一言『なんで?』と返信してみた。
 すると時差なんてお構いなしとでもいうように間髪入れず返信が来た。ドットで描かれた封筒を画面の中で開いてみれば、『だってお母さんもおばあちゃんも縁を置いてくるなんてことしないと思ったから』
だそうだ。

 父からしてみれば、念願叶って家族とやっと一緒に過ごせると楽しみに到着を待てば、なんと妻も義母も可愛い娘を置いてきたというのだ。娘も一緒に外国へ来ると思っていた父が母達を問いただせば、女性陣二人はあっけらかんとした様子でこう言ったのだろう。

「だって縁、日本で就職決まっちゃったし」

そして父はきっとこう返した。「内定辞退すればよかっただろう!」と。それに対する母達の返答。これは縁も含めてだが、恐らく「やっと受かったものをそうホイホイ辞退してなるものか!!」である。その猛然とした気迫に父や祖父が折れる所まで、縁の脳裏には思い描かれている。

 結局の所、いざとなったら強いのはやっぱり女なのである。

 縁はとりあえず父に『大丈夫だよ』と返信した。未だかつてこんなに父が縁の心配する様を表に出してきたことはなかったもののその気持ちはきっと本心だから、ありがたく受け取るとしよう。そして、夏休みでももらえた暁には皆のいる海外へ旅行も兼ねて行けばいい。そんな風にさえ思いながら心を温かくしていた縁に、やはりすぐに父から返信があった。

『そういえば4日後に警察の人間が家に来るだろうから、悪いけど対応してやって欲しい。本邸の管理について話があるそうだ。門馬(もんま)という40くらいのいかつい系のオッサンだよ。よろしくね』


「…はぁ?」

一体なんの話をしているのかがわからず、縁は呆然とメール画面を睨んだ。しかし何度見返してもそこには娘を心配する文面は見あたらず、ただ業務報告のようにつづられた文章。
 内容の意味は理解出来るし納得出来る。本邸の管理ということは、祖父の代理であった祖母という管理者をなくした図書館屋敷の本の管理について、父や祖父、もしくは警察が何かしらのアクションを起こしたのだろう。
 もしかしたら警察の方であの大きな屋敷の中の大量の本を管理してくれる、ということなのだろうか。それとも実は非常に大事な書類があの壁のように迫り来る本棚の中に潜んでいるのだろうか。

 どっちにしても警察が介入してくれるなら縁としてもそっちの方が楽だ。住んでいるのは離れだから、数日に一度は屋敷の風を入れたりしなければならないと思っていたのである。本邸の図書館屋敷と離れは同じ敷地内といえど、面倒なものは面倒なのである。

そんな風に比較的すんなりと事態を飲み込んだ縁であったが、父のこの身の変わりの早さにだけは若干の苛立ちを覚えた。仕返しとばかりに『夏休みあってもお父さんには会いにいかないわ』とだけ返しておく。縁はそのままパソコンのシャットアウトボタンを押すと、後ろに倒れ込むようににて寝ころび、そのまま寝てしまったのだった。

 次の日、母から『お父さん凹んでて気味悪い。なんか知ってる?』
なんてメールが来ていたので『知らない』とだけ答えておいた。父が凹んでいるのは自業自得なので『知らない』、という意味を込めてだ。勿論母には100%伝わらないだろう。



 そうして、そんな茶番劇のようなメールのやりとりからちょうど4日後、13時5分前になった。縁は目だけ動かしてリビングの最終チェックを行いながら、玄関のベルが鳴るのを待った。せっかくの休日に警察に会うなんて物騒極まりないが、図書館屋敷関連についてでは仕方がない。

そうして時計を見る回数がだんだんと増えてきていた頃、玄関のベルが鳴った。その瞬間緊張で心臓が一度大きく跳ね上がるけれど、なんとか平静を装って扉を開けた。そこには父のメール通り、40くらいのいかつい男性と、

 横には線の細い男の子が、スーツケースを持って立っていた。

「こんにちは」
「こ、こんにち…は…」
いきなりの挨拶に少したじろぎながら、縁は玄関にあったサンダルを履いた。相手は律儀にも、玄関の扉より外できちんと頭を下げてきた。それに合わせるために、縁も玄関に降りる必要があったのである。

「兵藤縁さんで間違いないか? 」

ゆっくりと頭を上げた、いかつい印象の男性は声までもいかつい。喉が傷つきそうなザラザラとした声だけど、声量のおかげでわりと聞きやすいそれに、縁は一つ返事をした。
 すると刑事ドラマのように警察手帳を見せてきて「こういうものだ」なんて言うから、わかっていてもその手帳に顔を近づけてみると、そこにはやはり『門馬 修治(もんま しゅうじ)』と書かれていた。間違いなく、父が言っていた人物だ。縁はまた一つ返事をした。

「お休みの所、申し訳ない。お父上から話は伺っているだろうか」

「は、はい…今日警察の方がいらっしゃることだけは」

縁の言葉に、手配の手違いが無かったことを確信したのだろう。門馬は少し、表情を緩めた。

「そうか。よかった。いきなりオッサンが来たら驚かせてしまうだろうと思って、心配していたんだ」

「あ、すいません…」

いや、と門馬が軽く手を横に振る。そのやりとりに、なぜだか門馬の横にいた少年が少し笑っている。刑事さんの息子さんだろうか。それにしては少し大きい気もするが。縁は思った。

「今日はこちらの兵藤家本邸について話をさせて頂きたくて来たんだ」

「はい。そちらも父から話しは聞いてます。ど、どうぞ」

「おじゃまします」

 縁は少し緊張しながら手で家の中を指し、上がるように促した。門馬が動く前に、少年が挨拶をしながら玄関に足を踏み入れた。軽くてなめらかな声音は、なんとなく儚い印象の少年にはぴったりの声だった。
一人になって初めての来客が刑事と少年だなんて、何の雰囲気も滲み出ないが、やはり来客というものは緊張する。

 縁はリビングに客を通した後のもてなしを頭の中でシミュレートしながら、普段は家の中では決して履かない靴下を廊下に滑らせながら、刑事と少年をリビングへ通したのだった。