「もしも明日世界が終わるとしたら。
もしも明日、世界が瞬く間に考えさせる暇もないまま破壊されてしまうなら。
もしも、そんな事が本当に、1の確率で起きるとするなら。
君なら何をする?
友人とどこかに出掛けるかい?
それとも今まで将来のことを見据えてやらなかったことをやるかい?
死を選ぶかい?
普段と変わらない日を過ごすかい?
家族みんなで集まって過ごすかい?
他にも様々な、実に多様な過ごし方、または終わらせ方がある。
これはあくまで可能性、空想が先走ったような話でありながら宗教などによくある【始まりがあるなら終わりもある】というそれに通じている。
しかしこの始まりがあるなら…という考え方はひどく矛盾を起こしている。
盛者必衰の世、諸行無常の世界というものの考えにだって始まりや栄えた時がある。
それすなわちこれもいつかは廃れてしまうと言うことだ。
そうなれば新たな考え、名付けて永遠論が出てくる。
万物に終わりはない、栄え続けていく。
これすら今までの時代を考えれば矛盾している。
ある程度の、多くのものは終わりが存在する。
それが終わったときまた新たなものが始まる。
これが世界であり生態系の本質である。
しかし時には変わらないものがある。
もしかしたらそれは長い時間の中で少しずつは変わっているのかも知れないが現段階では変わらないに等しいものがある。
だがそこをどうとらえるのかは自由であり、とらえるのかも自由だ。
変化のないものなのか、変化してゆくものなのか。
まぁ、つまりはこのように世界には矛盾ばかりが存在する。
君たちはこの矛盾に付け入ろうと思ったことはあるかい?
この矛盾を利用して何か物事を成し遂げようとしたことはあるかい?
恐らく今この社会で歯車と呼ばれるような人間達はそんなもの考えている暇もないのが大多数だ。
だからと言って何もかわりはしない。
当たり前だ、君達にこんな話をしたところでこの話題がどうこうなるわけじゃないしもっと言えば時間の無駄だ。
でもこれを聞いている君たちに考えてほしいんだ。
果たして君の人生に、君の気持ちや行動に、とんでもない矛盾、笑っちゃうような矛盾、矛盾の矛盾はないか、と。
諸行無常の精神が移り変わるように、万物が移り変わり永遠となるように、何かとんでもない矛盾が、常識と化していないかを。
君たちには分からないかもしれないが、ありふれたそれを見つけてほしい。
それが君達の一生の課題だ。」