「夜分遅くすまない。
実は、君のところが大変なことになっているらしいって噂を聞いたんだが、本当か?」
斉藤さんは玄関先で開口一番にそう父に問いただした。
父は黙っている。
あたしは、階段のところでそっと立ち聞きしていたから、
父の姿も母の姿も見ることは出来なかった。
しばらく経って、父が答えた。
「じつは・・・もう、にっちもさっちもいかないところまで来ているんだ。」
そういうと、がたっという音が聞こえた。
あたしはおもわず階段を駆け下りた。

父はひざまずいていて、その肩は震えていた。
父の膝元にぽたん、ぽたんと水が落ちて、
ちいさな水溜りが出来ていた。

父が泣いている。

あたしは衝撃を受けた。
父が最近みるみるやせ細っているのはわかっていた。
会社が傾いて、家計も苦しくなっていることも。
でも、父が泣いたのを目にしたのは、初めてだった。
祖父や祖母のお葬式のときも、人がいないところで泣いたのだろう、目は真っ赤に充血してまぶたも腫れていたけれど、人前で涙を流したりはしなかった。

「とにかく、中で話を聞こう。秋子さん、あがらせてもらうよ。」
斉藤さんは、母にそういって、父の腕を取り、リビングへ向かった。
あたしは、そのあとをついてリビングに入った。
父と母、そして斉藤さんはソファに座り、
あたしはダイニングテーブルの椅子に浅く腰掛けた。
いつもの母だったら「由佳は部屋へ帰りなさい」というところだけど、
父の涙で母も衝撃を受けたのだろう、私のことなど眼中になかった。

「大体の話は聞いてるよ。タチの悪い奴に引っかかったな・・・。
総額、いくらだい?」
「・・・引っかかったのは大体2000万。でも、この家のローンもまだ残っているし、会社の運転資金での借り入れもあるからな・・・」
あたしは喉がからからに渇くのを感じた。
でも、水を汲みにいく気力も湧かない。
しばらく、誰も口を開かなかった。