本当は、その頃あたしの頭の中は家庭教師どこ
ろの話じゃなかったんだ。
誰にも相談できなかったけれど・・・。
でも、自分の気持ちを隠して明るく振舞うのは昔から得意だったから。
そんなに、苦しくはない・・・。

あたしは婚約している。
婚約相手は、斉藤優也、27歳。
ちょうど、あたしより10歳年上。
物心ついたときには、あたしは優也と遊んでいた。
っていうか、遊んでもらっていた。
優也のお父さんとうちの父は大学のサークルの
先輩後輩の関係だったから、
あたしが赤ちゃんの頃から、夏はバーベキューをしたり
冬は温泉に繰り出したりと、家族ぐるみで付き合ってきた。
だから優也は、一人っ子のあたしにとって本当のお兄さんみたいな関係だった。

うちの両親は、恋愛結婚したわりにはいっつもけんかばかりしていた。
原因は、父の会社の資金繰り。
父は大学の機械科を出て、ある大手機器メーカーに勤めていた。
その時母と出会って、ふたりは結婚した。
その後、父は独自に特許を取って独立して小さな会社を興すことにした。
安定したサラリーマンと結婚したつもりだった母はかなり反対したらしい。
でも、父の気持ちは変わらなかった。
結局母が折れて、父は会社を作った。

父が思っていたほど、世間は甘くない。
父の会社が存続していくのは、本当に大変なことだったらしい。
そんな時、いつもアドバイスをしてくれたのが
大学の先輩だった、斉藤さん。つまり、優也のお父さんだ。
理系で、いまいち人付き合いが苦手な父とちがって、
文系の斉藤さんは世知に長けている人で、
長年にわたり色々助けてもらったらしい。

でも、本当のピンチは独立から14年目、つまり一昨年に訪れた。
母が知ったときには、会社はもうどうにもならない状態になっていたらしい。
もう、倒産するしかない。
父は別人のようにやつれて、何日も食事が喉を通らなかった。
母は黙っていたけれど、今まで事あるごとに父に文句を言い続けていた母が
何も言わないということ、
その静けさが事態の深刻さを物語っていた。