「ちょっと、そこいいかしら?」


肩をたたかれて俺は目を覚ました。
いつの間にか眠っていたらしい。

顔を上げると隣に小母さんが立っていた。
小太りで、よく日に焼けた肌が目につく。

小母さんはちょっと不機嫌そうに俺が座っている隣の座席を指して言った。


「私の席なんだけど」


慌てて座席に置いてあった鞄をどかした。
俺が列車に乗った時はほとんど人が乗っていなかったから油断していた。

立ち上がって鞄を座席上の網棚に載せながら、背もたれごしに周囲を見渡す。
ほとんどの座席が埋まっているが、まだ人は車内に乗り込んできている。

事前購入の指定席である座席以外にも、立ち乗りの人が出そうだ。

--なんだ、まだ沢山の人が使ってるんじゃん。


俺は心のなかで呟いた。


この列車、通称「黒猫」は一日に一本、しかも夜中にだけしか走らない。

今よりもずっと昔はとても賑わっていて、ピーク時なんかには朝から十分に一本くらいの間隔で走っていたらしい。


黒猫という名前は割に最近聞くようになった。
闇夜を音もなく走っていく様をなぞらえて呼ばれてるっていうんだから、少なくとも夜だけの営業になってからなのだろう。


車内に発車を知らせるチャイムが鳴り響く。


ガタガタと揺れながら、黒猫はレイルの上を走り出した。


そして程なくフワリと体が持ち上がるような感覚の後、振動も音もなくなった。


窓の外を見ると、ちょうど駅のホームから車体が浮かび上がるところだった。

外の景色の視点が上にずれていく。


黒猫は、音もなく夜空を駆け出す。


途中で停まる駅はない。
目的地はただ一つ。


幻想郷「Bleu de jardin」。

「青の庭」と名付けられた場所。