ところが、振り返り見たその顔は思ったより全然驚いていなかった。
むしろ冷静な様子でこう言った。
「だからここに来る前に言ったじゃないですか。
兄さんに無理やり記憶を取り戻させようとすると、こんなふうに幼児化しちゃうんです。
それでいつも記憶を取り戻すに到らないんですよ」
「確かに聞いたが、そんな話、実際に見るまで信じるわきゃないだろ」
田中は必死に、くっついてくる教師Aを引き剥がそうとしながら返す。
「……っつうか、じっとしてないで早くこいつをどうにかしてくれ!」
心からの懇願を込めて、山下絵里に訴える。
しかしそう言われても、山下絵里はその場から動かなかった。
「……ふふふふふ」
なぜか肩を揺らしながら笑っている。
突然に、しかもこのタイミングで笑い始めた彼女を見て、田中はぎょっと表情を引き攣らせた。
「……ふふ……あははははっ…」
押さえきれないとばかりに、思いっきり笑い始める。
爆笑だ。
どこをどう見ても壊れかけ、というか完全にぶっ壊れてしまったようにしか見えない。
「……お、おい。お前もどーしたっ?!」
この状況下でさらにおかしな人が倍増して、田中はパニックに陥りかける。
けれども山下絵里の目は田中を見ていなかった。
暗黒に立ち込めた淀んだ空気を後ろに背負いながら口端を吊り上げて笑っている。
「……はははっ。兄さんマジでどうしちゃったんスか」
口調もさることながら声音まで姉御調に激変していた。
田中は思わず「お前がどーした」と再度突っ込みそうになってとどまった。
「なんであたいじゃなくて、そいつに懐いてるんスか」
その声は田中でさえ怯えさせるほどに低くおぞましかった。
「いつも幼児化した時には”おねーたん”ってあんなにあたいに懐いてくれてたのに、結局はどいつでもイイってことかい。…けっ。
てめーは金魚の尻にもれなくついてくるアレか?ああん?」
教師Aを睨みあげ詰め寄る彼女の瞳孔は完全に開ききっていた。

