綾女の瞳には

驚きと

そして

雫が溜まっていた。

「行こっ。薫。」

そういって薫の腕を引こうとしたら

私の手に

薫の

男なのに細い腕がなかった。

見れば…

「綾女、大丈夫か?」

薫が綾女の顔を心配そうに見つめていた。

「うん。大丈夫。

ごめんね。薫くん。

迷惑だったよね。あんなこと言って。」

「そんなことないって。

綾女は何も悪くないから。」

そういって薫は

綾女の頭を軽く撫でた。

そして…

「詩織、なんであんなことすんだよ。

お前ら親友なんだろ?

綾女、何も悪いことしてないのに

手を出すのは卑怯だろ。」

薫が私にそんなことを言ってきた。













パキン











今のは私の中で

心が割れた鈍い音。

パンドラの箱が

割られた音。









「そうだよね。

薫は私より

綾女の方が大事だよね。」

「はっ?

何言ってんだよ。詩織。」

「だってそうでしょ?

私は薫が苦しいかなって思ったから

やっただけなのに…」

「俺は別に良かったよ。

詩織に心配してもらわなくたって

そんぐらいできるよ。」

嘘だ。

嘘だ、嘘だ、嘘だ!

薫は苦しんでたよ。

綺麗な横顔が

微かに歪んでたよ。

「嘘なんてつかないで!

薫はあの時、くる…」

「やめろよ!

詩織に俺の何が分かんだよ!

勝手な事言うな!

詩織にわかったふりなんて

されたくねぇよ。」


あぁ。

私…好きなんだ。

笑う薫も

怒る薫も

強がる薫も

どんな薫も

全部全部





好きなんだ。

だから

こんなに苦しいんだ。

でも、薫は綾女が今でも好き。

私じゃなくて

綾女をかばう。

好きなら当たり前の行動が

苦しいね。

人を好きになるって

こんなに苦しいんだね。

胸が痛くて

張り裂けそうだ。


「わかった。」

何もわかってないのに

わかったなんて

私、バカみたい。


「薫は綾女を守ってあげればいいよ。

私なんてほっといて。」

「詩織?」

急に変わった私に

急に優しい声で

私を呼ぶ薫。

優しくしないで

期待しちゃうから。

いっそあなたに傷つけられて

夢も希望も消えた方が

きっと今は楽だよ。


「さよなら。薫。」

私はその場から走り去る。

「詩織?

おい、詩織?」

薫の声に涙が止まらなかった。

愛しい声だ。

クールなのに

優しくて甘い声。

でも、今、聴くのが苦しいよ。

だってその声で

あなたはまた綾女の名前を呼ぶんだから。

それなら

あなたの声なんか

聞きたくない。



ひたすら走って

着いたのは屋上だった。

だれもいない。

広いこの場所なら

大きな声で泣いても

空が私を包んで

許してくれる気がして

私は号泣した。

声を押し殺すこともなく

愛しい人を思って泣いた。


太陽が眩しい

でも、私の心には日はささない。

そんな初夏のことだった。