「おはよう、綾女ちゃん」
「おはよう、慎爾くん」
綾女ちゃんがくったくなく笑った。
あの一件以来、綾女ちゃんは
よく笑いかけてくれるようになった。
それが今は何よりも嬉しい。
こんな日がずっと続くと
僕は陰りなく信じていたんだ…
まさか、帰ってくるなんて思わなかった。
授業が終わり、荷物をまとめて
下駄箱で靴にはきかえて
ふと校門をみた。
思わず目を見開く。
長い黒髪
赤渕メガネ
整った横顔
柔らかい笑み
心臓が鈍い音をたてる。
あれは…あの人は…
校門を無言で通りすぎる
「あっ、新一?」
明るくてあどけない声が苦しい。
僕はさきをさくさくと歩く。
「ねぇ、新一?
聞こえてるんでしょ?
わたしのこと、忘れたの?」
忘れるわけがない。
でも、忘れたい。
だって、僕が好きなのは綾女ちゃんだけだ。
婚約者なんていらない。
彼女に期待させてはいけない。
くるりと彼女にふりかえる。
「美風…」
色白の顔を見る。
僕の婚約者にはもったいないぐらい綺麗だ。
彼女の名前は…白石美風(しらいしみふ)。
「なぁに?新一?」
美風はにこりと笑う。
「婚約を破棄したい。」
春らしい風が二人の間をすり抜ける。
「どうして?」
案の定
美風は戸惑った顔をした。
「私の何が嫌だった?
私、新一のためならなんでもするよ。
嫌だよ。新一と離れるなんて嫌だ。」
美風は誰よりも僕を愛してくれている。
それは手にとるようにわかるんだ。
美風は慎爾じゃなく
僕をいつだって見てくれた。
だけど…
「美風より大事にしたい人がいるんだ。」
僕は彼女に残酷な言葉を告げた。
ところが美風は予想外のことを口にする。
「そんなこと、前から知ってた。」
「えっ?」
「私たちが婚約したの
いつだったか覚えてる?」
「中学1年の春。」
「そう。
あなたはその数ヵ月後には
恋してたんでしょ?」
女の洞察力はすごい。
「それをわかっててもあなたは優しい。
あなたの口から婚約破棄なんて
いままで出なかった。
あなたの口からその言葉がでない度に
苦しかったけどホッとした。
私はまだあなたのとなりにいられる。
辛かったけど
私は新一が好きだから。」
美風は僕にしがみついた。
「私はあきらめないよ。
誰よりも新一を愛してるから。」
そういって彼女はスクールバックから
文字の連なった紙をとりだした。
その紙に目を通す。
最初は驚いて動揺した
でも、持ち直す。
「彼女がどうなってもいいの?」
美風は怪しく笑う。
「わかった。」
僕は美風をムリヤリ抱き寄せる。
そして、唇をあわせて舌をいれた。
甘い声が響く。
「…あっ、んっ…」
絡む舌に涙の味がして切なくなる。
気がつけば彼女を夢中で抱いていた。
僕が彼女を愛せば
ーーー綾女ちゃんを守れる。
僕は一番大切だと気づいた彼女を守るため
僕は…
白石美風を愛するしかなかった。

