記憶を辿ればずいぶん前になる。歯科医の院長が、歯には興味ないよ、と私に言ったことがある。
「人の歯になんか興味あるわけねえだろうが」と院長はマスクから飛び抜けそうな声音を放出した。 どうして上に立つ人間というのは、ときに口調が荒くなるのだろう、私は常々疑問だ。
「というと?」と私。
「お前、やけに冷静だな。俺みたいに年がら年中、人様の歯を覗いていると目が虫歯菌に侵されるんだよ。わかったか?」
「わからない」
「その冷静さを誇示されると、さすがの俺も何もいえねえ」
 院長は目を三日月形に細めた。マスク越しでわからないが笑みをこぼしているのだろう。
「で、なぜ歯科医なのに歯には興味がないのか教えて欲しい」
 院長は、舌打ちをし、腕組みをし、天井を見上げ、そして私を見た。意志のある目で。そこには力強さが宿っていた。何か来る。そう、言葉、だ。
「歯石を取ったり、虫歯を治したり、患者の喜ぶ顔を見るのはたまらない快感だよ。痛みや傷みを催した歯が改善されるんだからな。あれは素晴らしい。だからといって歯には興味はな。みを治癒する快感を全うしているのさ。まあ、理由にはなってはない。役立つことをしているのに理由はいらねえ」
 ガハハ、と院長のマスクが浮いた。肺活量は相当なものだろう、この時の私は冷静に思った。
「では、なぜ歯科医をやってる?」
 ふっと院長はマスクを通過し鼻息を感じさせるように笑い、
「それが生きるというこだろ。一人じゃつまらねえ。俺は歯を通して人様の人生に触れている」
 ほお、と思わず私は小鳥の囀りのような声を出した。少し恥ずかしい。だが、そんなことはいい。少なからず院長の人生哲学は私と合致しているようだ。
 他人は他人。自分は自分。そういう考え方もあっていい。だけど気になる。人の〝人生〟というものが。他人の人生形式は十人十色だが、それだけ面白さもある。院長は歯を通して、私は〝記憶〟を通して。ああ、院長の依頼を遂行しないと。
「で、  誰に届ける?」
「誰に?」
「ああ」