本来、死者が生前の記憶を失う事などあり得ない。否、あってはならない事だ。そんな酷い仕打ち、死した者は、残る者に何の思いを託せようと言うのか。安楽叶わずこの世に浮遊し、永刻さ迷うのみではないか。
それに止まらず、死後の記憶までも、部分的にしか無いとは…。
聞いたことも、無い。
「すみませんが、此方の責任者と連絡を取っても宜しいでしょうか?」
とりあえず、浩子に事実確認をすべきと判断した尊は再び携帯を手に取った。
彼女から直接依頼書を手渡されたのだから事実確認も何も必要無い事だろうが、『記憶の飛んでいた時』の彼女が一体何を話し、どのような態度であったのか。そして、依頼を遂行すべきなのかどうか、彼女の奇妙な話も考慮した上で判断材料が欲しかったのだ。
しかし、都合の悪い事に彼女に電話をしても繋がらなかった。三時からクライアントが来ると話していたのをぼんやりと思い出す。依頼を引き受け、忙しくしているのだろうか。
ならば――、
引き受けるかどうかは別にして、依頼の内容だけでも聞いておくべきだろう。
『繋がらないんですか?』
「そうみたいですね。…あの、依頼内容だけでもお伺いします」
『それでは引き受けて下さるんですね?』
「…いえ、申し訳御座いませんが何とも。…責任者との事実確認も電話が繋がらない事には取れませんし。それに、クライアント虚偽につきましては信用に関わる問題です。頷けるかは分かりませんが…とりあえずお話だけでも…と」
死者から依頼をされるなど、前代未聞。おまけに記憶が無いと宣う彼女。一体何を望むのと言うのだ。
輪廻天象に背く事、つまりは、死者を生き返らせる事は禁じられているし、尊の力ではまだ到底叶わぬ境地。
もしくは――、
『…成仏出来なくて困っているんです』
この世に残る未練を断ち切りたい…とか。
「…それだけ、ですか?」
『…はい、多分』
「…多分?」
『すみません、責任者と直接お話した時の記憶が無くて曖昧なんです…でも、確かに父の手帳を見て貴社に連絡したのは、早くこの世から解き放たれたくて……って…神城さん?どうしました?』
尊はこの時程、例の彼女の金銭感覚に軽蔑を覚えた事は無い。
死者を天に導く。陰陽師やその道の人間ならば殆ど義務のような、大金を取ってまでする事では無い日常業務。
