今夜はあいの遅番の日だった。
もちろん今夜も僕はあいを迎えに行く。
ちゃんと当直も外してもらってある。
あいの仕事が終わる10時までの間、いつものように心臓外科の自分のデスクで書類やカルテの整理をしていた。
「あれ?桐生、今日は当直じゃないだろ、残業か?」
今夜の当直は矢野らしい。
心臓外科の部屋のドアから顔を覗かせた矢野は少し、怠そうな顔をして僕に声をかけてきた。
「うん、まあ、そんなところ」
僕が曖昧に言葉を濁すと、勘のいい矢野は『ああ~』と意味ありげにニヤリと口角を上げた。
「今夜はあいちゃん、遅番の日か」
「・・・・・“あいちゃん”ってやめろ」
矢野の言葉を肯定もせず、僕がムッとしてそう言うと、矢野は可笑しそうに声を上げて笑う。
「いいじゃん、名前呼ぶくらい。減るもんじゃなし」
「減る減らないの問題じゃない」
憮然とする僕に矢野は更に笑い声を大きくして、「はいはい」と気持ちの篭っていない返事をしながら、手をひらひらさせて部屋を出て行った。
「あいちゃんによろしく~」
人の話をまったく聞いていない矢野に、ムッとしながら僕は時間を確認して、帰る準備を始めた。
時計は9時半を回っていた。
病院から大学の敷地までの間、等間隔にある電灯に照らされた道はやっぱり暗い。
途中通るコンビニの前だけが以上に明るく感じる。
それ以外は暗くて、僕はその人影に気づくことができなかった。
図書館の前に着いて、あいが出てくるのを待っていた。
それは5分もたたない時間。
待っていたドアが静かに開いて中から出てきたあいは、僕の姿を見つけて、瞬時に顔を綻ばせた。
「お疲れ様、あい」
「お疲れ様です」
数日ぶりに見るあいの笑顔が嬉しくて、僕も自然と笑顔になりながら、言葉をかける。
あいも笑顔のまま、少し照れたようにはにかんで、答えてくれる。
そんな些細なことに幸せを感じていた。
その時。
ジャリっと僕らの後ろの方で、何かが地面の砂を踏みしめる音がして。
僕は反射的にそちらを振り返った。
暗がりの中、そこに立っていた人に僕は無意識に顔を歪めた。
「北野・・・・・」
どうして北野がここに?
僕は嫌な予感がして、咄嗟にあいを隠すようにその前に立った。

