頭上に青空が広がるスカイデッキに立ち、大きく深呼吸をした。
海風は心地よく、肌をほどよくなでていく。
夏の盛りをすぎたとはいえ、まだ秋の気配には遠く、強い日差しに目を細めた。
降り注ぐ夏の日差しを避けるために、壁際に置かれたデッキチェアに腰を下ろした。
「土屋さんと奈緒子さん、やっぱり仲がよろしいのね」
「さぁ、どうだろう。
息子のことが原因で夫婦がもめたとは意外だったが、だいたい、あの二人が夫婦をしてるのが不思議だよ」
「初音のクルーズにご夫婦で参加したのは、結婚20周年の記念ですって」
「はぁ? 客室は別なのに? わけがわからん夫婦だな」
「そうかしら。花村様のように寄り添って金婚式を迎えられるご夫婦もいれば、そうでない方もいる。
幸せの形に決まりはないわ」
「俺は一緒がいい」
「私も」
珠貴の腰を引き寄せると、そうするのがあたりまえのように私の肩に頭を預けてきた。
肩の重みは心地よく、満ち足りた想いに包まれる。
宗……と呼ぶ声に肩を見下ろすと、少しだけ顎をあげ艶やかな目が私を見つめていた。
ゆっくり触れた唇は海風の香りがした。
「蒔絵さん、きれいだったわね」
「平岡の目じりが、だらしなく下がってた」
「蒔絵さんに初めてお会いした日を思い出していたの。覚えてる?」
「あぁ……」
「狩野さんの婚約をお祝いする会だったわね。プライベートのパーティーに、初めてあなたが誘ってくれた」
「せっかく誘ったのに、君は蒔絵さんを俺の彼女だと勘違いした。あのときはあわてたよ」
「覚えていたの?」
「忘れられないよ。あのとき、珠貴が俺を意識しているとわかったんだ。忘れるものか」
「あれからずいぶんたつわね……私たち、結婚したのよね」
確かめるように指輪を見つめる珠貴の左手に指を絡ませた。
ここにいたるまで平坦な道のりではなかったが、過ぎてみればすべては今日につながっている。
困難や難問に出会い苦しい経験もしたのに、互いの気持ちが揺らぐことはなかった。
珠貴と将来を歩く未来図は、私の中に早くから出来上がっていた。
これからは、未来図を現実のものに変えていくためにふたりで歩いていく。
いままでにない出来事にも遭遇するだろうが、それもまた楽しい時間になりそうだ。
「クルーズ、楽しかったわね」
「寄港地の観光も良かったが、たくさんの人に会えたのが良かったな。
土屋夫妻をのぞいては、というところだが」
「そう? 私はお目にかかれて良かったわ。土屋さんも奈緒子さんも楽しい方よ。またお会いしたいわ」
「俺は嫌だね。あんな皮肉屋と話すなんて、ストレスが増すだけだ。珠貴も、小山夫人は苦手だろう?」
小山夫人がよほど嫌な相手なのか、珠貴の眉が反り返った。
あからさまに毛嫌いする顔が面白くて、少しだけからかってみた。
「そうだ、小山さんから奥様をお茶会に誘ってもいいかと聞かれたよ。どうぞと答えておいたが」
「えっ、勝手に返事をしたの? やだっ、どうしてそんなこと言ったのよ。私が嫌がってるの知ってるでしょう」
「ははっ、冗談だ、断ったよ。ほら、珠貴も苦手な相手はいるだろう」
「あの方は特別よ。もぉ、宗の意地悪」
デッキチェアから体を乗り出し、私を責める口は文句を言いながらも、どこか甘えた口調だった。
仕事のときの引き締まった顔も好きだが、時々見せてくれる甘えた顔は独り占めしたくなる。
形だけの抵抗で胸をたたく手を片手で封じ、もう片方で珠貴の首元を引き寄せ額を合わせた。
旅行から戻れば日常が待っている。
さしあたっての問題は、まいをどうするかということ。
家をどうする? と口を開きかけたが珠貴の声が先だった。
「新しいお部屋のことだけど」
「えっ」
「なぁに?」
「家のことを先に言われて驚いた」
「ふふっ 以心伝心ね」
「うん」
こんなことさえ喜びにつながるいまは、どんな問題も難なく解決できそうだ。
「家か……迷うな。珠貴はどう思う?」
「近衛の大叔母さまからいただいたお話、とてもいいお話だと思うの」
「屋敷を譲り受けるって話か……屋敷の広さも充分だ、便利もいい。条件は申し分ないよ。
大叔母さまはマンションに移るつもりらしいが、それが気にかかる」
「大叔母さまと、一緒に暮らすことはできないかしら」
珠貴の提案に正直驚いた。
驚きながら、これよりほかに良い答えはないとさえ思う。



