ボレロ - 第三楽章 -



三週間の旅の終わりは、すぐそこまできていた。

久しぶりに日本の港に入り、乗客の顔にも懐かしさと安堵が浮かんでいた。

日程表に記されている予定で残るのは 『お別れパーティー』 のみ、その前に結婚式が行われる手はずになっている。

結婚式の準備は極秘に進み、長崎から乗船した家族も式まで姿を隠してもらう徹底振りだ。

何も知らされていない平岡と蒔絵さんを、朝食後、私と珠貴が別々に呼び出した。

小説や映画さながらに、待ち構えていたスタッフの手で婚礼衣装に着替えさせられ、フォーマルに身を包んだ乗客が待つメインホールへと連れてこられた。

状況から、これから何が起こるのか感づいていながら 「どういうことですか」 と言い続けた平岡も、ウェディングドレスを着た蒔絵さんを目の前にして、さすがに覚悟を決めたらしい。 

大きなため息をひとつつくと 「ありがとうございます」 と私に頭を下げた。


船長が執り行う結婚式は 「船長式」 と言われ、船長が結婚を承認する。

神妙に宣誓文を読み上げた平岡は 「結婚を認めます」 と宣言した船長の声に、顔の緊張をといた。

これも船上結婚式ならではのセレモニーで、新郎新婦は航海日誌にサインをし、結婚の証明とするのだ。

私も 『客船 久遠』 の結婚式で経験したが、なかなかよいものである。

乗客の拍手に包まれ、祝福に応えようとゲスト席を見回した二人の目が家族を見つけ、笑顔に涙が加わった。 

祖父母と母親と弟のいる場へ駆け寄った二人は家族に抱かれ、大きな拍手に包まれた。

柄にもなく涙腺が緩み、幸せな風景を涙で滲んだ目に留めながら、顔を隠すようにして珠貴とともにその場を離れた。
 



ホールを見下ろすフロアの手すりに背を預け、振舞われたシャンパンに少しだけ口をつけた。

珠貴も静かにグラスを傾けている。

申し合わせたように顔を見合わせて微笑んだ。

親しい友であり、信頼できる同僚でもある彼らの結婚式を行った達成感があった。

旅行を振り返り楽しい思い出が増えたという満足感、新しくはじまる生活への期待感もふくめ、静かな場所で珠貴と二人で船旅の余韻を楽しみたい気分だ。

それなのに 最も聞きたくない声が耳に届いた。



「結婚式というのは、何度見ても感動的だね」


「べつに……」


「近衛君にはこの感動がわからないのか。平岡君も薄情な先輩をもって可哀相なことだ」


「可哀相かどうかは、平岡が決めることです」


「もっともな意見だね。だが、一般的な見地において見過ごすわけにはいかないね。

上司であり先輩である君が、内助の功さながらに尽くしてきた平岡君の、人生におけるもっとも幸せな姿に心を動かさないというのは、二人の間に軋轢が生じていることを示唆しているといえよう。 

人生の先輩としてこれは聞き流せないね。私でよければ相談に乗ろうじゃないか」


「結構です」



土屋さんの戯言につきあう気分ではない、ご免こうむりたいものだ。

まともに返答するつもりはなく、嫌味にあしらったつもりなのに、どうして絡んでくるのか。



「拒絶はなんの解決にもならない。近衛君、問題から目をそらしてはいけないよ。 

苦手とする相手に弱点を指摘されて、子どものようにむきになる。そこが君の欠点だ」


「私と平岡の間に問題などありません。 

結構ですと言ったのは、土屋さん、あなたと話すつもりはないということです」


「これは興味深い。私に話すつもりはないが、第三者には話してもいいと言うことだね。 

さてさて、近衛宗一郎と平岡篤志の間に、どんな深刻な問題が横たわっているのか」


「難癖をつけて人に絡むのはあなたの悪いクセです。やめてもらえませんか」



これまで遠慮して胸にしまっていた一言をついに言った。

先輩に対して失礼だと思ったが、ここで区切りをつけなければ、どこまでいっても平行線のままだ。

それなのに、土屋さんのこの表情はなんだ。

こちらは意を決して口にしたというのに、笑みを浮かべた顔をどう理解したらよいのだろう。



「悪いクセ? 何を言う、コミュニケーションスキルを高めるための手段だよ」



涼しい顔の相手を睨み返すが、まったくもって気にする様子はない。

呼びに来たスタッフに笑顔で応じ 「申し訳ない、話の途中だが失敬するよ。この続きはいずれ」 

と一方的な都合で立ち去った。

握り締めた拳をバルコニーの手すりにぶつけた私を、珠貴がどうしてよいのかわからないといった目で見ている。

こんなとき、気休めや慰めの言葉はいらない。