奈緒子さんの言うことは正しい。
船上で親しく言葉を交わしたからといって、旅の後まで親しくする必要はない。
うかつに相手の誘いに乗り親しさを示せば、近衛宗一郎の妻の立場を利用されかねないということ。
はっきりと言葉にされると、自分のおかれた位置が明確に見えてくる。
「ありがとうございます。気をつけます」
「ありがとうという言葉を素直に口にできる方ってステキ。私、あなたのこと好きだわ。仲良くしましょうね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「まぁ、ますますステキ。でも誤解しないでね。
小山様のように ”珠貴さまとお友達よ” なんて言ったりしないから」
「私も、奈緒子さんと、お名前で呼ばせていただいてもよろしでしょうか。それから……」
「えぇ、もちろんよ。それから、なぁに?」
「お友達になっていただけませんか」
「嬉しい! ぜひ、こちらからお願いしたいわ。蒔絵さんもね」
「はい」
返事を聞いた奈緒子さんは、私たちに飛びつきギュッと肩を抱きしめた。
背中に回された手が、私と蒔絵さんをしっかりと包み込む。
その手に偽りのない親愛を感じた。
「お茶会の仕切り直しをしましょう」 と奈緒子さんに案内されたのは、夕方からオープンするはずのバーの一角だった。
「close」 の札を横目に、カウンターの中のバーテンダーに 「コーヒーをお願いね」 と迷いもなく注文し、「ここに座って」 とカウンター前の椅子を勧められた。
「ここはね、私の秘密の場所なの。ねっ、コージ君」
「はい、奈緒子さま」
コージ君と呼ぶには年季の入ったバーテンダーが、優雅な手つきでミルを引く。
カフェよりも美味しいのではないかと思われるコーヒーをいただきながら、一時間近くをそこで過ごした。
「奈緒子先輩と話をしたんだって?」
「楽しい方ね。私たち、お友達になったのよ」
宗の反応はどうだろう、さりげなく彼の顔色を窺った。
先日の様子では、土屋さんへ苦手意識を持っているようだが、奥様の奈緒子さんへ向けられた目には親しさが含まれていたけれど。
「いいんじゃないか。奈緒子先輩は、良くも悪くも自分に素直な人だ。珠貴のことが気に入ったんだろう」
奈緒子さんが小山様のことをこう言っていたと話すと 「いかにも奈緒子先輩らしい辛口だ」 と言いながら、高らかに笑い出した。
「奈緒子先輩と付き合うのはかまわないが、土屋さんには近づくな、いいな」
「はい……でも、どうしてそこまで敬遠するの?」
「どうも虫が好かないんだ」
それこそ苦虫をつぶしたような顔をし、奈緒子先輩と別居してから嫌味に拍車がかかっていると顔をしかめた。
宗の前では、奈緒子さんのご主人の話は避けたほうが賢明だと心得た。
奈緒子さんを通じて新しい交流が芽生えた。
奈緒子さんの推薦で蒔絵さんが講師になり開催した 「ジュエリー講座」 が好評で、一回だけの予定が三回になり、定員を超す申し込みがあった。
講座の内容は、アクセサリーや宝石にまつわる話やジュエリーと服の相関性など、女性の興味があるものを取り上げている。
奈緒子先輩に頼まれたとはいえ、そこまですることはない……と、当初宗は不満そうだったが、講座が好評であると知ると、平岡さんとともに顔をほころばせた。
「蒔絵先生には内緒だけど、実はね……」 と、受講した方々に結婚式の予定を打ち明けたのは奈緒子さんだ。
「蒔絵先生の結婚式のお手伝いをさせてください」 の声が自然発生的に起こったのも当然のことで、みなさんとの親しさをより深めることになった。
「もうすぐね。楽しいことって大好きよ」
奈緒子さんは待ちきれないといった顔だ。
平岡さんと蒔絵さんの結婚式が数日後に迫っていた。



