ボレロ - 第三楽章 -



旅先でも、朝はいつもと変わらぬ時刻に目が覚めた。

私も宗も、とりたてて急ぐ用事はないのに朝の習慣を変えることはなく、目覚めると起きて身支度を整える。

朝食までの時間に、船の中を歩こうと言い出したのは宗だった。


海風を肌に受けながらゆっくり歩く。

朝の散歩を楽しむ人は多く、行きかう顔と交わす朝の挨拶はすがすがしい。

同じ時刻に歩く日が三日も続くと、出会う顔も決まってくる。

そろそろかしら……と思っていると、背後から走り寄る足音が聞こえてきた。

追い抜きざまに 「おはよう。今日も仲がいいね、夫婦はそうあるべきだよ」 と挨拶にひとこと加えて声をかけてくるのは土屋さんだ。

このときつながれた手に力が入るのは、宗が土屋さんを警戒しているためで、それでも走り去る背中へ 「おはようございます」 とややぶっきらぼうに挨拶を返す。

背中に投げられた宗の声に、土屋さんが片手を挙げて応えてくれるのも毎朝の風景になっていた。

ほどなく、土屋さんの奥様の奈緒子さんが前方から走ってきた。

「おはよう」 と今朝も明るく爽やかな声がして、宗はこちらには 「おはようございます」 と普通に挨拶を返す。

事実離婚のお二人は走る方向も逆なのね……なんて妙な納得をしていると、走っていた二人が行きあうのが目に入った。

黙ったままか、そっぽを向いてすれ違うのかと思いきや 「おはよう」 と声を掛け合いながらハイタッチして走り去った。



「ねぇ、お二人、本当は仲がいいのよね?」


「さぁ、あの人たちの行動は俺にはわからないね」 



宗の声は、そんなことはどうでもいいじゃないかと言いたげで、二人を気にするなというように私の肩を抱き 「水平線が丸いよ」 と海の彼方を指差した。

「本当だわ」 と返しながら、私は事実離婚のご夫妻がますます気になっていた。





客船 『初音』 のダイニングでは 毎夜同窓会さながらの光景が繰り広げられていた。

またご一緒できましたね……といった会話が、そこここから聞こえてくる。 

『初音』 最後の航海となった 『アジアクルーズ』 の乗客のほとんどがリピーターで旅慣れた方ばかり。

「今夜は記念すべきニ百泊目です」 の声に驚いていると 「私たちも」 と複数の声があがりまた驚いた。

船上で百泊以上を過ごされた方の多くが世界一周クルーズの経験者で、それは三ヶ月以上の旅と聞き、三週間の休暇を確保するのにも苦労した身としては、羨ましさにため息が漏れる。

一ヶ月単位、二ヶ月単位の旅を繰り返していますとおっしゃる方も少なくない。

聞こえてくる話から旅のお仲間の親密さを感じ、船上の社交の場へ踏み出す気持ちが鈍くなるのだった。 

つい後ろ向きになりそうだが 「クルーズを楽しまなくては」 と思い直し、勇気を出して前へ出ることにしている。


私たちが新婚旅行であることはみなさんご存知で、話に加わると 「船はいかがですか。楽しんでいらっしゃいますか」 と気遣ってくださる。

先日も 「遺跡めぐりが趣味です」 とおっしゃるご夫婦が、アンコールワットについて教えてくださった。

思ったほど気後れすることはなく、無理に気負う必要はないのだと思えるようになり、そうすると、さまざまなことに興味がわいてきた。 

私たちにとって非日常であるフォーマルな装いは、ここの方々にとっては日常であり、上質の物をさりげなく身にまとうお洒落から学ぶことは多い。

みなさんお洒落に敏感で、私が身につけるジュエリーにも並々ならぬ興味を示される。 

「デザイナーの平岡蒔絵さんの作品です」 と紹介したため、蒔絵さんへ製作依頼が増えつつあった。