「近衛君、楽しそうだね。だが、奥様がうつむいているのにも気がつかないとは、新婚の夫としては 少々問題だね」
男性が宗へ棘を含んだ言葉をかけてきたが、私が勝手に思いに入り込みうつむいていただけで、宗の責任ではない。
いえ、それは……と言いかけて、宗の手に止められた。
「土屋さん、あなたに言われる筋合いはありませんね」
「ほぉ、私は親切心で言ったつもりだよ。
珠貴さんでしたね、妻を顧みないあなたの夫に代わって、私とダンスはいかがでしょう」
「お断りします」
「近衛君、なぜ君が返事をする。
私は珠貴さんに聞いたんだ。会話の法則を無視されては困るよ」
「私は一向に困りません。食事のあとは予定があります。
ですからお断りしますと言ったまでです」
「お誘いいただきましたのに、申し訳ございません」
突然現れた男性にも驚いたが、宗のただならぬ気配にも驚いた。
土屋さんを宗が敵視しているのは明らかで、あからさまに拒絶の姿勢を示している。
ここは私がきちんとお断りするべきだと思い、自分の言葉で気持ちを伝えると 「そうですか。それは残念ですね。では、また」 と、さっと立ち去っていった。
どなたですか? と聞いた私の問いに答えたのは平岡さんだった。
「大学の先輩ですよ。
先輩と言ってもかなり上ですから、同じ時期に活動したことはありませんが、OB会で何かとつながりがあって……
弁論部ですから弁はたちますよ。ただ、あの皮肉はどうも……僕も苦手です」
「宗、弁論部だったの? 初めて聞いたわ」
「言ってないから知らなくて当然だ。俺は弁論部など入りたくなかったんだ。
近衛家の男子は代々入部することになっているとかなんとか、OB幹部の土屋さんに詰め寄られて。
それでも嫌で断った。
ディベートで土屋さんに勝ったら入部しなくていいと言われたが……くそっ、嫌な思い出だ」
「土屋さんに楯突くのは近衛先輩だけです。学生の頃から馬が合わなくて……」
平岡さんが、私に説明してくれたのに、「余計なことを言うな」 と宗に睨まれて、平岡さんも口をつぐんでしまった。
「よりによって同じ船に乗り合わせるとはね。
いつか会うとは思っていたが、わざわざ顔を見せに来たのか? どこまでも嫌味な人だ。
珠貴、あの人は無視することだ」
「でも、あなたの先輩の方でしょう? そういうわけには」
「絶対にかかわるな!」
強い口調で言われ、私だけでなく蒔絵さんもびっくりしている。
宗は不機嫌この上なく、平岡さんも顔を歪ませたままだ。
そんなよどんだ空気が漂う私たちへ、また声がかかった。
4人の顔は誰がみても明るいものではないのに、声の主はそんなことは気にも留めないのか、
突き抜けるように明るい声だった。
「みなさま、ごきげんよう。近衛君、なんて顔をしているの。
新婚旅行でしょう、もっと笑って」
「そんな気分じゃありません。奈緒子先輩はいつも元気ですね」
「そうよ、あなたももっと笑った方がいいわ。笑う門には福がくるのよ」
「奈緒子先輩も笑って福をつかんで、土屋さんとよりを戻してください」
「あなたの憎まれ口も相変わらずね。
でもこれだけは言わせて、悪いのは彼よ、私じゃない。じゃぁね」
ひらひらと手を振って、ドレスの裾をなびかせながらその人は去っていった。
突然現れた二人の会話を拾って整理すると、一つの答えが導き出された。
「先ほどの土屋さんと今の女の方は、ご夫婦かしら」
「事実上離婚した夫婦だ。ちなみに部屋は、デラックスシングルルームに個別に宿泊だ」
宗が苦手とする人がいたことが興味深く、個性的な方々にお会いしたと思った。
これがこのときの私の正直な感想だった。
三週間の船旅は、刺激的なものになりそうだ。



