夕日を浴びながら客船 『初音』 が出航する。
岸壁から多くの人々が手を振り 『初音』 を最後の航海へ送り出す。
デッキから岸壁へ向かって手を振りながら、これから始まる船旅を思い胸を膨らませていた。
隣りに立つ宗の横顔も高揚している。
見送りの人の列に秘書の堂本里久さんの顔が見えると 「頼んだぞー」 と大きく声を張り上げた。
煌びやかに彩られたホールに着飾った人々が集う。
客船 『初音』 クルーズ一日目の夜は、華やかなパーティーで始まった。
「海の上では、ゆるやかに時が刻まれるのよ」
優雅な身のこなしで私に話しかけてくださったのは、花村様の奥さまだった。
銀婚式の年に初めて船旅を経験して、その素晴らしさに感動し、それから何度もクルーズに参加しているのだと、可愛らしく品のある口元から旅の記録が語られる。
今回のクルーズはご夫婦の金婚式と、ご主人の喜寿の記念に申しこまれたそうだ。
「久我様のご好意で、素晴らしいお部屋を用意していただきましたの。
近衛さん、叔父さまによろしくお伝えくださいませね」
「はい、叔父も喜ぶことでしょう。私たちは初めての船旅です、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、楽しい旅にしましょうね。お若い方とご一緒できて嬉しいわ」
ご主人と見合わせた顔が微笑ましく、お二人のような夫婦になりたいと心から思った。
「良かったわ」 と宗の耳にささやくと 「喜んでもらえたようだね」 と近づいてきた顔が嬉しそうだった。
急なキャンセルから 『客船 初音』 の最後のクルーズに参加することになった私たちには、当初ロイヤルスイートが用意されていた。
客室の中でも最上級の部屋で、クルーズの申し込みはロイヤルスイートから予約が入るほどの人気であり、希望してもなかなか予約できない貴重な部屋だと聞いていた。
「自分たちには贅沢すぎる」 と遠慮する私たちに、久我の叔父さまは 「またとないチャンスだよ」 と言ってくださったが 「やはり 身の丈に合いませんので」 と、部屋の変更を申し出た。
旅行中、記念日を迎えた方へ特別なおもてなしをする習慣があるそうだ。
今回の乗客にそのような方がいないかと聞いたところ、花村様が金婚式と喜寿を迎えられるとわかり、ロイヤルスイートへ宿泊していただくことにした。
私たちは 『ジュニアスイート』 へ変更になったが、それでも贅沢すぎる部屋だと思っている。
こちらの希望で部屋を変更したことは、花村様には伏せてくださいとお願いしたため、先ほどのような 「叔父さまによろしくお伝えくださいね」 の言葉になったのだった。
平岡さんと蒔絵さんのお部屋は 『スーペリアステート』 と呼ばれ、私たちと異なる階にある。
「部屋は同じ階のほうが都合がよい」 との理由で、平岡さんたちの部屋もスイートをと宗が主張したが、
「スタンダードでも良かったのに、ワンランク上の部屋を用意してもらいました。
それ以上は贅沢すぎます」
二人は首を横に振ったまま、なんとしても縦には振ってはくれなかった。
秘書としては目立つわけにはいきませんので、と言われてしまってはどうしようもない。
一日のうち二時間ほどが仕事の時間になるが、ワークルームは私たちの部屋とし、二人に足を運んでもらうことにした。
乗船後、確認のため互いの部屋を訪問しながら、こまごまとした決め事を話し合った。
そのとき、嬉しい出来事に遭遇した。
平岡さんのお部屋に入ると、テーブルに飾られた見事なフラワーアレンジメントが目に入った。
「弟と彼女が贈ってくれました」
「カードに ”お義姉さまへ” と書かれていて、わたし……本当に嬉しくて……」
お花は平岡さんの弟さんと婚約者からの贈り物だった。
涙腺が緩む演出ですよと、冗談を言う平岡さんの目はすでに潤み、認めてもらったことが嬉しくてと言う蒔絵さんの目には涙が光っていた。
二人の涙に私の涙腺も刺激され、滲む雫を手で押さえながら宗を見上げると、彼も鼻を手で覆っている。
「夜のパーティーまで、部屋でゆっくりしよう」
宗の掠れた声に、このときばかりは平岡さんと蒔絵さんも首を縦に振り、私たちも部屋へ戻ったのだった。



