平岡が手にしているのは婚姻届だった。
証人の欄には、平岡の父親の名前と蒔絵さんの母親の名が記されている。
私と珠貴で二人のためにと用意したものだが、気の利いた言葉をかけられない私に代わって、
珠貴が二人へ話しかけた。
「平岡さん、蒔絵さん、私たちの気持ちです。お幸せになってくださいね」
口元が震える平岡へ、珠貴に助けられるかたちで言葉をつないだ。
「平岡、親父さんの了解が得られて良かったな」
「先輩、これは、いつ……」
「披露宴の夜、平岡社長が下船される前に、俺から話をさせてもらった。
快く承知してくださったよ」
「……父の署名がありますね。先輩がわざわざ父を訪ねて?」
「あの、母にも会ってくださったんですか」
平岡と蒔絵さんが潤んだ目で私を見つめているが、そんな感謝の目で見られては返事に困る。
またも珠貴が私を助けてくれた。
「平岡さんのお父さまと蒔絵さんのお母さまに、それぞれお話をさせていただいて、おふたりの了解をいただいたので、浅見さんにお願いしました」
「……そうでしたか。ありがとうございました」
もしや、余計なことをしたと、彼らが機嫌を損なうのではないかとの心配もしていたが、そろって頭を下げてくれたのだから、私たちの好意は受け入れられたようだ。
「浅見さんにも世話になったんですね」
「平岡さんのお役に立てて良かったと、浅見さんも嬉しそうでしたよ」
珠貴の言葉にうなずきはしたが、さまざまな思いが去来しているのか、平岡はペンを握ったままだ。
「どうした、婚姻届の書き方がわからないのか?
わからないなら教えるぞ、俺は経験者だからな」
「先輩だって何度も経験したわけじゃないでしょう。それくらいで威張らないでください」
「何度も経験してたまるか。ほら、ここに名前を書くんだよ。
婚姻後の姓ってのは……そうか、ふたりは同じ苗字か。
ということは、蒔絵さんの氏名変更手続きは無用だな」
「まぁ、そうですけど、一応僕の姓ってことで」
握ったままのペンがようやく動き出した。
かたくなに二人の結婚を反対する平岡の母親の存在があるため、婚姻届の記入をためらう気持ちもわかるが、なんとか背中を押したいと思った。
重い気持ちを動かすために軽口をたたいて、気を楽にさせてやりたい。
「間違えるなよ、ここに平岡の名前だ」
「わかってます、先輩静かにしてください。気が散るじゃないですか」
あまりにもかまいすぎて最後には怒られてしまったが、それも計算のうちだ。
ほどなく二人の署名がすみ、婚姻届はできあがった。
「お二人の記念の日に立ち会うことができて……良かった」
「あぁ、そうだな」
おめでとう、と珠貴とそろって声をかける。
神妙な顔の平岡と、まだ声が震えたままの蒔絵さんから、「ありがとうございます」 と礼が伝えられた。
一対になったランプをともすと、寝室は柔らかな灯りに包まれた。
平岡と蒔絵さんが贈ってくれたランプだが、彼らも同じ物を持っている。
ふたりは明日入籍する。
「明日がランプの点灯式ですって、蒔絵さん、嬉しそうだったわ」
「そうか、良かった」
ランプに照らされた頬に唇をおき、首に腕を絡める。
わずかにくすぐったそうにしたが、誘いに応じるように唇を寄せてきた。
「船の旅が楽しみね」
「あと一週間か」
「忙しくなりそうね。明日は……」
口をふさぎ、珠貴の言葉を吸い取った。
話の続きは明日にしよう……
素早く伝えて再び唇を重ねると、そうね、というように珠貴の手が私の腰にまわされた。
ほのかな灯りのもと、密やかに二人の夜をはじめた。



