ボレロ - 第三楽章 -



クルーズ二日目の午前中は、招待客のみなさまのために、さまざまな企画が用意されていた。

中でも船内観光には予想を超える人数の申し込みがあり、安曇船長案内の元、客船の内部が披露された。


宗と私は朝食後デッキを散策したが、ほどなく部屋に戻った。

デッキからの眺めも素晴らしいが、プライベートバルコニーから二人だけで見る景色は格別だった。

宗の胸に体を預けながら潮風を感じる心地良さは、何物にも代えがたい。
 
仕事も立場も、ここにいる目的さえ忘れそうな幸せな時間だった。

けれど、いつまでもこうしてはいられない。

安らぎを与えてくれた宗の胸から体を引き離し、次の予定の準備に入った。

このあと昼食会が開かれることになっているのだ。

ドレスコードはセミフォーマルのため、昨夜に比べ多少気楽ではあるものの、それでも私の身支度には時間がかかる。

早々と準備ができた宗を待たせながら仕度を整え、連れだって部屋を出た。





昼食会の主催は、両家の父親が名を連ねたもので、双方の父がそれぞれ挨拶をしたのち会食が始まった。

両家主催の昼食会といっても堅苦しいものではないが、昨夜と異なり席が決まっている。

中心となるのは主催者が座るテーブルで、両家の父親と須藤の祖父、青木の祖父、久我の叔父さまと岩倉の大叔父さま。 

ほかには、丸田のおじさまをはじめ、父たちのごく親しい友人の顔がそろっていた。

父親のプライベートが見える顔が並んでいるねと宗が言っていたが、メインテーブルに仕事関係の方はいない。

その横は、両家の母親をはじめとした女性ばかりのテーブルだった。

近衛の大叔母さま、須藤の祖母、青木の祖母、ほかは母親の親しい友人が数人と、真琴さんのお母さまのお顔もあった。


宗がいるテーブルは、アインシュタイン倶楽部のみなさんと、彼らと親しい友人が集まっていた。

メインテーブルにいるだろうと思われた知弘さんはこちらの席で、漆原さんの姿も見えた。

「スーツ姿の漆原さん新鮮ね。他の方も素敵な方ばかりよ」 と結歌がそっとささやいてきた。

宗の学生時代の友人だろうか、私がお会いしたことのない方もいる。


私の席は……結歌、紫子さん、美那子さん、真琴さん、佐保さん、そして、蒔絵さん。

昨夜の平岡夫人の騒動は、みなさんの耳にも届いていた。

誰もが平岡夫人の行動に腹を据えかねていたが、蒔絵さんがなにも言わないため、みなさんも直接的な言葉は控えている。



「両家のお父さま、お母さまたちのテーブルと、宗一郎さんのテーブルは注目の的ね。

みなさん、ものすごい目でご覧になっているわよ。 

誰もがあの中に入りたいと思っているのね。羨望の眼差しって、こういうことだわ」



そこへ入りたくても入れない、目に見えない境界線がそこには存在している。



「披露宴に招待されただけでも光栄だと思っていたのに、その中に、さらに超えられないものがあるのだと、気づかされたということでしょうね」



美那子さんの言葉は厳しかった。



「グループ会社の取締役でもそうですから、奥さま方のお気持ちはもっと複雑でしょう。 

お立場をわきまえることも必要ですのに……」



真琴さんが珍しく非難めいたことを口にした。

彼女は、長く近衛の重役秘書であったことから内部事情に詳しい。

いかに宗と平岡さんが親しい間柄であっても、グループ会社の取締役夫人である平岡夫人の昨夜の振る舞いは、目に余るものだったと、彼女には映ったようだ。

同じテーブルの方々と語らいながら、時々こちら側を睨むように視線を送ってくる平岡夫人をさりげなく見て 「ここにいれば大丈夫ですよ」 と、真琴さんが蒔絵さんの肩に手をおいた。



いつのときも場の雰囲気を盛り上げてくれるのは、沢渡さんの奥さまの美那子さんだ。

『沢渡病院』 の副医院長夫人であり、ご本人は会社の経営者でもある。

小柄な体のどこにエネルギーを蓄えているのだろう、いつも快活でエネルギッシュであり、私たちが頼りにしている女性だ。

いまも 「みなさん、あちらをご覧になって」 とさらりと話題を変えてきた。



「見てよ彼らの顔、なんて楽しそうなの。仕事のときと大違いだわ」


「沢渡先生も? 狩野もそうですよ。

みなさんと倶楽部をはじめてから、会の日が待ち遠しいのか、どんなに忙しくても出席するんですから」


「えてして女は群れてしゃべりたがるものだね、なんて私に偉そうに言うけれど、男だってそうじゃない。

あの忙しいみなさんが、いそいそと集まってるのよ。よっぽど楽しい会合なんでしょう」


「えぇ、そうでしょうね」 と相槌をうった佐保さんも、向こう側のテーブルに目をやった。


「潤一郎さんなんて、倶楽部の開催日にあわせて、出張先から帰ってくるんですもの。

私より、みなさんにお会いしたいみたい」


「あら、紫子さん、それって問題発言よ。夫が妻より会いたい相手がいるなんて、ふふっ」



言った先から美那子さんが笑い出した。

真琴さんと蒔絵さんも顔を見合わせて笑っている。

蒔絵さんに笑顔が戻ったのが何より嬉しかった。