ロイヤルスィートには広いバルコニーが設けられている。
「最近の傾向で、各部屋にバルコニーを増設しているそうだよ」
海風を受けながら、宗が船室について語る。
湿った潮風が心地良く頬に当たり、風にまじった潮の香りが、ここは海上だと伝えてくれた。
「シャンパンはもうたくさんだ」 と言う宗の手にはミネラルウォーターが注がれたグラスが握られていた。
私にもグラスを手渡し、中身は水だがと言いながら軽くグラスを合わせた。
「平岡さんとお母さま、どうするつもり?」
「どうもしないよ」
「でも、話しますって約束したでしょう」
「だから、早く結婚しろと言うよ」
「それは聞いたわ。お母さまと話し合わなくていいのかしら」
「あのお袋さんを説得するのは無理だな。蒔絵さんがどれほど努力しても報われないだろう。
たとえ母親を説得して、しぶしぶ二人の仲を認めさせたところで、のちのち不満が噴出すだろうね。
そのとき辛いのは蒔絵さんだ。平岡もそれをわかっているから家を出た。
親子でも相容れないものがある」
「父がまだ反対していたら……私たちもそうなっていたかも」
「ならないよ、お義父さんなら必ずわかってくださると思っていた。
どれほど反対されても、俺は諦めるつもりはなかった」
「宗……」
「俺たちと平岡たちは違う。みな同じようにはいかない」
淡々と語る言葉の向こうに宗の厳しさが見えた。
努力で補えることと、できないことがある。
宗は自分が 「可能だ」 と判断したことには最大限の努力をする、けれど 「不可能だ」 と判断したことには執着しない。
言葉をかえるなら、見限るということ……
常に 「はい」 か 「いいえ」 の判断を迫られる立場にいる宗には、並外れた判断力がある。
彼の決断が、会社を有利にも不利にも導くのだ。
その判断は、これからの私たちの人生においても発揮されるのだろう。
「蒔絵さんね、何度も平岡さんに別れを伝えようと思ったんですって。
でも、言えなかったそうなの……彼がひとりになってしまうから、できなかったって。
平岡さんの味方になってくださる方が、ご家族にいらっしゃらないのかしら」
「平岡の弟は、よく言えば優しい性格だ。兄貴の味方をしたいが、母親には逆らえない。
父親は……さて、どうするのか」
平岡さんのお父さまはクルーズには参加せず、披露宴の前半のみの出席で仕事に戻られた。
宗の言葉から、お父さまを仕事熱心な方ととらえるか、ご家族と希薄な関係であると受け取ったらいいのか、私にはわかりかねた。
夜の海を見ながら、私は蒔絵さんのことを考えていた。
あれほどまで邪険にされながら、彼の母親を悪く言うことはなかった。
こうと決めたら引き下がらない彼女の強さを、垣間見た思いだった。
頬をつつかれ、なぁに? と彼を見上げると、海の向こうを見るように促された。
対岸の夜景が遠くに見える。
海岸に沿って輝く光は、現実のものなのに幻想的な灯りのようでもあった。
海からのぞむ夜景を、宗と肩を寄せていつまでも眺めた。
頬をつつかれ目を開けると、明るい朝の日差しの中に宗の顔があった。
宗の手に助けられながら体を起こし、ベッドの上から船外へ目を向けると、朝の景色が広がっていた。
言葉を忘れたように見つめる私を後ろから抱え込み 「おはよう」 とささやく。
「おはよう」 と言いながら振り返った私に、彼の顔が重なった。
今朝の朝の挨拶はことのほか長く、唇から伝わる熱がまたたくまに全身に広がっていく。
「朝なのに……」 とささやかに抵抗してみたが 「朝だから……」 と返事にならない返事がかえってきた。
朝食までの時間を、ぴったり寄り添って過ごすことになりそうだ。
宗の手が私をベッドに押し戻した。



