ボレロ - 第三楽章 -



沢渡さんが案内したのは船内ラウンジの一角で、披露宴が行われているホールから離れているため人気はなく、それだけに、その人の声が良く聞こえてきた。



「あなた、いつまで篤史に付きまとうつもりなの」 



言い放つ荒い声に、怒りで体が震えた。

壁に身を潜ませていた美那子さんが 「この中です」 と声を出さずに口だけ動かした。

ラウンジへ飛び込もうとする私の腕を宗がつかみ、首を横に振った。



「別れなさいと何度も言ったはずよ。篤史の隣りにいられると迷惑なの。

同じ苗字のせいで、息子が結婚したと、みなさまの誤解を招くでしょう。 

もっともあなたのことですから、それも計算ずくでしょうけれど」


「そんなつもりはありません……」


「まぁ、恥も知らずに言い返すなんて、なんて人なの。

そうね、母親が働いている家庭では躾もできてないわね。大学卒業も怪しいものだわ」


「母は懸命に育ててくれました。大学はきちんと卒業しています」


「篤史はね、宗一郎さんや乾杯のご挨拶をなさった狩野さんと同じ大学なのよ。 

宗一郎さんとは中学校からご一緒よ。誰でも入れるような、簡単なところじゃないの。

あなたのように、仕事をしながら片手間に通った大学とはわけが違うのよ。

それで篤史と釣り合ったつもりなの?」



もう聞いていられない。

宗の腕を振り切って、ラウンジの中へ飛び込んだ。



「失礼いたします。平岡蒔絵になにかございましたか」


「これは珠貴さま、本日はおめでとうございます。

いえね、この方が失礼なことをおっしゃるので、少し意見させていただいておりましたの」


「さようでございますか。では、私が承ります」


「あの、どうして珠貴さまが?」


「私は彼女の上司ですので」


「そのようなこと、困りましたわね……」



平岡夫人はしばらく思案顔だったが 「そうですね、聞いていただけますか」 と体を進めてきた。

一度開いた口は、永遠に閉じることはないのではないかと思われるほど、次々と言葉を放っていく。

蒔絵さんは平岡家に釣り合わない、篤史さんが言いくるめられているに違いない、などなど、しばらく黙って聞いていたが、聞くに堪えない内容に体の奥から怒りがこみ上げてきた。



「……それに、篤史とこの人が出会ったのは道端ですって。

道を聞いて知り合ったなんて、人様にいえませんわ。 

それだけではありませんのよ。お仕事をしているような方が、息子の交際相手なんて恥ずかしくて。

そうでしょう? 経済的に苦しいから働かなくてはならないんですものね。

そのようなお家のお嬢さんと我が家の息子では、所詮釣り合いがとれませんもの」


「お言葉ではございますが、私も仕事を持っております。

仕事は経済的なことばかりが理由ではないのではないでしょうか」


「珠貴さまは特別です。お父さまの跡を継がれる方ですから、お仕事もお勉強ですもの」


「彼女もそうです。デザイナーだったお父さまの遺志をついでいます」


「まっ、おほほ、デザイナーなんて大げさな。小さな工房の職人ではありませんか。 

アクセサリーといっても、外国のブランドに比べれば、ねぇ……」



蒔絵さんのお父さまだけでなく、その作品まで見下すとはどういうことか。

平岡夫人の言葉は、それらの作品を見出した私への非難でもある。



「蒔絵さんのお父さまのデザインは素晴らしいものばかりです。彼女が完成させて、弊社が扱っております。 
 
宝飾部門は、私が蒔絵さんとともに立ち上げました。そのようにおっしゃられるとは、心外ですね」


「あらあら、そういうつもりではありませんのよ。珠貴さまのご活躍は息子から聞いております。

イタリアに留学の経験もおありになって、お父さまのお仕事のお手伝いをなさって、本当に素晴らしいこと。

ですからね、この人のようにたいした学校も出ていない人がそばにいては、珠貴さまの経歴にも傷がつきますでしょう。

それを心配しております。どうぞ、お考えになって」



私が男だったら、とっくにつかみ掛かっている。

いえ、このドレスさえ着ていなければ……

どこまでも自分の価値観を押し付けようとするこの人に、何を言っても無駄だと思うものの、言わずにはいられない。

このまま引き下がってはなるものかと、大きく息を吸って言い返そうとしたときだった。

目の前に、広い背中が現れた。