ボレロ - 第三楽章 -



梅雨の終わりも近いのか、雨の合間の日差しも夏らしくなってきた。

夕刻の雨上がりのあとでもあり湿気を含んだ空気が重たくはあったが、明日の晴天を予感させる月が夜空に浮かんでいる。

「少し歩きたいので」 と運転手に断り、マンションまで数百メートル手前で車を降りた。

手を差し出すと、珠貴の指が滑り込んできた。

結婚前なら別れを惜しむように、しっかりと指を絡めたのだろうが、いまは軽くつないだ手に安心感がある。

「散歩しよう」 というと笑顔でうなずきついてきた。


今夜は初めて夫婦でパーティーに出席した。

妻として私の隣に立つ珠貴は、パーティー客とにこやかに会話をこなし、落ち着いた振る舞いで申し分のないパートナーだった。

今夜は初めて珠貴を伴ったこともあり、多くの方から声をかけられた。

男同士なら 「よろしくお願いします」 ですむことが、女性が加わると会話が増える。

何気ない会話だが、その何気ないやり取りに大事なことが潜んでいることもあった。

私たちが客船で披露宴を行うことはほぼ知れ渡っており 「素晴らしい客船だそうですね」 とお世辞でなく、声を掛けてくださる方も少なくなかった。

「いわくつき」 と久我の叔父が言っていた船の評判は、いつの間にか好転してるのではないかと、肌で感じた夜でもあった。

大きな通りから道を折れ路地に入った。

そこは、一時珠貴が住んでいた部屋があるマンションで、いまは蒔絵さんのアトリエ兼住まいになっている。

蒔絵さんから部屋を探していると聞いていた珠貴は、借りた当初からから自分が住んだあとを、蒔絵さんに譲るつもりでいたらしい。

いずれ平岡と蒔絵さんの新居になるんだな、と聞くともなしに口にすると 「実はね、もうご一緒に住んでいらっしゃるのよ」 と言いにくそうな顔をして 「黙っていてごめんなさい」 と謝りながら肩をすくめた。



「平岡も思い切ったな」


「ご両親を説得するのは無理だとわかって、退職を決めたんですって」


「本当なら年末に退職するつもりだったそうじゃないか。 

ところが、浜尾君が先に辞めて、平岡は辞めるに辞められず、そうこうするうちに俺たちの結婚が持ち上がって、俺の仕事を調整するために平岡の仕事も増えた」


「私たちのために先延ばしにしてくださったのね。おふたりには申し訳ない思いでいっぱいだわ」


「うん……」



ふたりの交際は7年近くにもなるそうだ。 

早くから結婚を考えていたようだが、蒔絵さんを認めようとしない平岡の母親の反対にあっていた。 

ずっと説得を続けていたが、母親の考えを変えるのは無理だと判断した平岡は、両親との決別を決めた。

彼はいずれ父親のあとを継ぐ立場であったが、両親に跡を継ぐ気はないと告げ家を出た。

蒔絵さんがジュエリーデザイナーとしての独立できるように後押しし、彼女の仕事を会社組織にするために準備をしていたそうだ。

今日すべてを打ち明けられ、長年そばにいながら平岡の苦悩をわかってやれなかった自分が情けなかった。

それにしても、なぜもっと早く言ってくれなかったのかと、自分のふがいなさを棚に上げ平岡に詰め寄った。



「父の跡を継ぐつもりはないと両親に言い続けていたのに、僕の言葉は黙殺されていましたからね。

親は口先だけだろうと思っていたようです」


「それで、実行に移したのか。

仕事をしながらよくもできたものだ。ただでさえ忙しいのに」
 

「先輩のもとで仕事をさせてもらって、経営のノウハウだけでなく、人脈の作り方も学ばせてもらいました。 

本来なら親父の仕事を継いで、そこで生かすはずでしたが、自分のための勉強になりましたよ」 



起業セミナーで櫻井さんと浜尾さんに会った時は驚きましたね、と笑いながら話してくれた。

櫻井君も親元からの独立を決めていた頃で、偶然目指す先が一緒だった。

そんなつながりから、平岡と櫻井君は親しかったようだ。