ボレロ - 第三楽章 -



「家を建てるってのは思いつかなかったな」


「これから考えればいいじゃないか。

おまえのところは不動産部門もある。土地探しは苦労しないだろう」


「それはそうだが、家を建てるとなると設計からはじめなきゃならない。 

土地がすぐに見つかったとして、早くて半年、ものによっては一年以上先だ」


「上等じゃないか。さっき並べた希望を全部ぶち込んで、好みの家を建てればいい」


「簡単に言うなよ」


「おまえだからできるんだよ。なにしろ近衛家の跡取りだ、家くらいでガタガタ言うな。 

周りが驚くような家を、ドーンと建ててみろよ。 

なんだかんだ言ってた披露宴も、客船を貸し切って豪華きわまりない。 

この際だ、新婚旅行も一ヶ月くらい行って来い」


「豪華きわまりないって、おかしくないか? 狩野、酔ってるのか?」


「酔ってない!」


「酔ってます。もぉ、ごめんなさいね。パパ、しっかりして」



佐保さんが狩野をたしなめるが、当の本人はご機嫌なようで、話がだんだん大きくなっていく。



「なんなら、両親も引き連れて新婚旅行クルーズに行って来い。親孝行にもなるぞ」


「無茶を言うな。社長と副社長が一緒に旅行に出てどうする」


「いいじゃないか。トップがいなくても会社は困らないよ。かえって社員はのんびりできる」


「あのなぁ」


「そうだ、こんなのはどうだ。招待客を 『クーガクルーズ』 の株主にするんだ。 

もしも業績不振になっても、みんなで負債を背負えばなんてことない、災いも分散できる。 

うん、我ながらいい案だ」


「いい案だが、そんな無理を頼めるわけないだろう」


「うーん……これはどうだ。

披露宴の招待客は、もれなくクルーズの割引券がもらえる。客引きにもなるだろう」


「割引券って……狩野、食料品を買うのとはワケが違う。

クルーズの料金がいくらかかると思ってる。

それにだ、船旅は日数がかかる、誰彼と行けるものじゃない。 

客引きどころか、割引券は使われないまま忘れ去られるのがおちだ」


「そうかぁ?  俺なら行くね」



あなたこそ行く暇なんてないのにと、佐保さんに呆れられていたが……

狩野が酔って口にしたあることが、そののち実現することになろうとは、このときは思いもしなかった。 




「どうぞ、そのままで。よろしいのよ」 と断る佐保さんの言葉を押し戻し、あと片付けを手伝っていた珠貴を待ち、狩野の家を辞したのは真夜中近くだった。
  
ほろ酔い加減の狩野と佐保さんに見送られ、珠貴と並んで大通りまで歩いた。

「車を呼ぼうか」 と友人夫婦は言ってくれたが、今夜は歩きたい気分だった。



「少し酔ったのかな。いい気持ち」


「奥さま、どうぞ」


「うふっ、ありがとう」



私は飲まなかったが、珠貴はワインを口にしていた。

酔うというほどはないが、頬がほのかに染まっている。

腕を差し出すと、甘えるようにつかまってきた。

思い出し笑いか、なんだか嬉しそうだ。



「楽しそうだね」


「ワインバッグを買ったときね、奥さまって呼ばれたのよ。

そんな風に言われたのははじめてだったから、誰のことかしらってわからなくて、もう一度呼ばれてわかったの。

きっと指輪を見て、奥さまって呼びかけたんだと思うけど、ドキドキしちゃった」


「俺も奥さまって呼ぼうか」


「奥様なんてやめて。それから、ママって呼ばれるのもちょっと……」



佐保さんが狩野を 「パパ」 と呼んだのを聞いて、子どもが生まれると、夫婦はそうなるのかと思ったそうだ。



「奥さまでもママでもなくて、ずっと名前で呼んでほしいの」


「わかった。じゃぁ、俺のことも名前で呼んでくれるんだろう?」


「そうね、そうする」


「二回も呼ばなくていいよ」


「これは違います。もぉ、あなたの名前って紛らわしいわね」



他愛ない掛け合いを続けながら路地をゆっくり歩き、大通りにでて車を拾って家路についた。

車の中でも珠貴の腕は私を頼ったまましっかりと絡められ、そばにいるのよと伝えるように、
ときどき体を寄せてきた

披露宴の煩雑さも 降ってわいた住まいの悩みも、結婚したからこそ持ち上がってきたのだ。

薬指の指輪がやけに輝いて見えた。

帰る先が同じである嬉しさに包まれながら、自宅の玄関ドアを開けた。