Vol.3(ディー視点)



 君と会う時はいつも、美しい月の下になるらしい。
 初めて会った時もそうだった。
 元々乗り気でなかった上に言い寄ってくる女性は一様に極楽鳥よろしくゴテゴテと着飾り、たくさんの香りが混ざって強烈な異臭を振りまいていることに鈍感なほど香水臭くて、とてもじゃないがその場に留まる事など耐えられそうになかった。
 「心配」という名のお節介を焼きたがる大叔母に押し切られた花嫁探しのパーティー。
 一定以上の身分を持った独身女性を呼び尽くしたらしいそのパーティーには、むせ返るほどの熱気があふれていて、とても自分の探し求めている女性がいるとは思えなかった。
 白粉を塗りたくった顔には同じような笑顔が貼り付けられ、恍惚とした瞳は私の外見的なものか、もしくは付随する諸々を映しているに違いない。
 外皮に包まれた内側を知ろうとしない女性たちに、どう心を開けというのか。
 そんな彼女たちを妻にすれば、どんな未来が待っているか易々と想像できる。
 だからあの時も義理を果たせば後はどうでもよかった。
 ため息交じりにホールを抜け出し、誰も来ないような奥まった廊下に姿を隠した。
 角まで行けば連れ戻される心配もない。
 そう思って足を向けた。
 だからまさか先客がいるとは思いもしなかった。
 更にそれが儚げに月を見上げる、妖精のように美しい人だなんて。
 濃紺のドレスに、解けた黒髪が綺麗な隆線を描いている。
 少し潤んだように見える瞳はオニキスのように滑らかに輝いて、その真ん中には半分欠けた月が映りこんでいた。
 こんな女性は記憶にない。
「貴女は…?」
「…ああ、ごめんなさい。会場の熱気に充てられてしまって」
「逃げてきた?」
「はい」
 小さく笑って言う。
 なんて素朴な笑みを浮かべるのだろう。
 そこには一片の嘘も濁りもなく、欲も打算もない。
 ただ少しだけ悪戯が見つかってしまった子供のように肩をすくめて、はにかんで見せるだけ。
「あなたは?まだパーティーの途中でしょう?」
 無垢な瞳が映し出すのは私。
「ええ、まあ」
 決まり悪く曖昧に応えると、彼女は不思議そうに首を傾げてから、ふわりと笑顔を浮かべた。
「公爵様も大変ですね」
「え?」
「今日のパーティーの名目は彼の大叔母様のお誕生日祝いと伺っていますけれど、本当の目的は公爵様の花嫁選びとか」
「…ええ、そのようですね。貴女も候補者の一人では?」
「いいえ!まさか」
 おや。
 力いっぱいの否定に私は拍子抜けする。
「それならどうして?」
「お父様への親孝行です」
「?」
「あまりにもパーティーを断ってばかりいるので、今回くらいは出席しなさいと叱られてしまいました」
 困ったように眉間にしわを寄せ、それでも愛らしく苦笑する。
 こんなに可愛い生き物を見たのは初めてだ。
 まさか親孝行のためにこの場へ来る娘がいようとは。
 しかも
「公爵様に相応しい方はたくさんあちらにいらっしゃいますから、私の出る幕ではありません」
 あっさり権利放棄ときた。
 ここまで興味を持たれないのも初めてのことで、何だか複雑な気持ちになってくる。
「貴女の興味をひくものは何です?パーティーより素敵だと思えるものは何?」
「そうですね…バラや、読書や、音楽…それに空」
「空?」
「はい。空はいつも変わり続けて、私の心を安らげてくれるから」
「ドレスや化粧や煌びやかな宝石は?」
「苦手です」
「珍しい女性がいるものだ。初めてですよ、大抵の女性が好むものを苦手と言ったのは」
 そんな女性がいるなんて夢にも思わなかった。
 この貴族社会に身を置きながら、装う事より興味深いものが他にあると言い切る女性が存在するなんて。
 ついでに言うなら、こうして会話をしていても様子が変わることもなく、媚びてくることもなく、通行人の一人程度に思われていそうなこの空気も、すべてが新鮮だった。
 もっと彼女の事を知りたい。
 そう感じた時、遠くで鐘の音が聞こえた。
 古い振り子時計が時を知らせている。
 すると慌てたように彼女は立ち上がり
「もう帰る時間だわ。ごめんなさい、これで失礼します」
「あ、ああ」
「きっとあなたのお連れの方も心配していますよ?早く戻って差し上げてください」
「え?」
「では」
 以前幼い妹に読んでやった絵本の主人公のように、彼女は小さい足取りで去っていく。
 ガラスの靴を置いていってくれればいいのにと心の底から願ったけれど、彼女の痕跡は屋敷のどこにも残されてはおらず、名前すら聞いておかなかった自分の馬鹿さ加減を呪わずにいられなかった。
 彼女は目の前で話していたのに私を「公爵様」ではないと勘違いしていた様子だし、パーティー自体苦手な様子だったから、きっと今後パーティーを開いたところで彼女が出席する可能性も低いだろう。
 けれどこのまま終わりにしたくない。
 もう一度きちんと彼女と「公爵様」として対面したい。
 全てを明かした上で話がしたい。
 私の全てを知っても彼女は私自身を見てくれる気がする。
 肩書や身分や外見などではなく「ディートリヒ」として、私と接してくれると、期待している。
 だから、どんなことをしても探し出したい。
 どうすればいい?
 頭をフル回転させて次の手を考える。
 と、その時
「おいディー!大叔母様がお呼びだぞ!」
 都合よくやってきた親友を見て、ようやく希望が見えた。
 根っからの王子様気質の彼ならきっとツテもたくさんあるだろう。
 女性の知り合いはたくさんいるはずだ。
「どうしたんだい、そんな嬉しそうな顔して」
「アル、頼みがある」
「珍しいな」
「女性を探してほしいんだ」
「は?ディーが、女性を!?」
「頼む!大叔母様にも伝える。もしも今夜花嫁を選べというなら、既に見つけた、と」
「み、見つけた!?一体どんな娘なんだい?あれだけ頑なに女性を退けてたっていうのに」
「名前を聞き忘れた。でも特徴ならある。今夜のようなパーティーには滅多に顔を出さないし、着飾る事より読書や音楽を好む娘だ。ああ、空が好きだとも言っていた」
「…そんな情報だけで目当ての人物を探せと?」
 何て厄介な頼みごとをしてくるんだこいつは、と言いたげな視線が刺さるがどうでもいい。
「彼女だけはどうしても探し出したいんだ。どんなに時間をかけても」
「ディー…。まったく、しょうがないな。分かった、今日は大叔母様の誕生日だし、彼女へのプレゼントも兼ねて探し出してあげるよ。ただし、もう少し詳しい情報をくれないか?」
 アルはやれやれと言った顔で頷いてくれた。
 そうして待つこと一週間。
 彼はついに目的の人物を探し出してくれた。

 エルフリーデ・アウシュタイナー 伯爵令嬢

 それが君。
 見つけた直後に事件は起こった。
 アウシュタイナー伯爵の自殺と伯爵夫人の死。
 アウラー男爵との婚約。
 一刻も早く助け出さねば君は手の届かない所へ行ってしまう。
 だから、方法は一つだけだった。
 とても強引な手段だったと分かっている。
 けれどあんなとんでもない男に奪われるなんてたまらなかった。
 何よりも君を助けたい、守りたい。
 ただその一心で動いていた。
「…エル…」
 君の心に、私の想いは届くだろうか。
 あんな風に泣く君を見たくない。
 絶望の中で復讐だけを胸に生きていく姿を見たくない。
 そんな生き方、誰も望んでなどいないのだから。
 どうか私の側で笑っていて欲しい。
 どうか
 どうか…。






 続く