手に取ると小さく金属の音がした。薄い紙の中を覗くとそれは土産物のドアベルだった。多分部屋のドアノブに掛けるような、あるいは壁掛けにつけるようなもので、富士子ママへのお土産にしては「気の利いた」物ではなかったけれど、富士子ママはそのベルが彼女の手の中で鳴るたびに胸の中で何かが鳴るのを聞くような気がした。お盆休み明けの信州のお土産は、何も聞かないでも誰と何のために行ったのか分かる。富士子ママの視界はうっすらと幕がかった。堪えようと思えば思うほど浮かぶ涙はいったい何なのだろう。

カウンターの男が、汗を拭いたハンカチを差し出したらいいか、どうしようか迷っているのが富士子ママには分かった。富士子ママはグラスを拭く布巾でそっと目を押さえて笑った。
「汗臭いんでしょ?そんなん・・・」
二人は笑ったけれど、本当はそのハンカチを手に取って泣きたい、と思う気持ちが後から後から零れた。その胸にすがって泣く事が出来ないのだから、せめてハンカチくらいいいではないか、とどうしてその時ハンカチを彼の手から奪い取れなかったのか、いつまでも富士子ママは後悔した。彼のハンカチを握り締めて泣きながら目をつぶれば、せめて彼の胸に抱かれた時と同じような匂いがしただろう。

「いつか、スイスへ行くことがあったら、本物のカウベルを買って来よう。それまではこれで、ね?」
彼はいつかの話を覚えていてくれたのだ。富士子ママがものの本で読んだスイスとその国にいかに憧れを抱いたかという話を。富士子ママが綺麗だったその頃、外国は時間と金を大変に要して、それはまるで別の惑星の事のようだったと言う。貿易会社や商社に勤めている人たちもいて聞く外国の話が華やかに夜の街に咲くこともあったけれど、富士子ママにとってはやはり別の惑星のことだった。