どこからどこまで

 "ごめん、冗談だよ"と、弾みをつけたあとに翔ちゃんの手は離れていった。

 冗談なことくらいはいくらあたしでもわかっていた。あたしが驚いたのは、翔ちゃんが薫の冗談に珍しく悪ノリしたことだ。


 そんなに嫌なのかなあ、教育実習。


 やはり少し心配になって翔ちゃんの顔を覗きこめば、いつも通りの穏やかな表情に気が抜けてしまった。"飼育員さん、でてきたよ"と促されて前に向き直る。


「か…っ、かわ…っ!」


 ご飯(魚)を求めて歩き回るペンギンたちの可愛さといったらなかった。なぜあんなにも可愛いのか。体を左右に揺らしながら歩く、あの歩き方だろうか。ペッタペッタという効果音が似合いそうな。歩くたびに揺れるあのおしりだろうか。兎に角、可愛い。

 あまりの可愛さに写真を撮ることも忘れていたあたしをみかねてか、ポケットからはいつの間にかデジカメが消えていた。代わりに薫がシャッターをきっている。

 あたしは1匹だけ魚を食べに行こうとしないペンギンを見つけて、斜め後ろにいる薫をつついた。


「薫、あのこ撮って」

「あのこって、どのこ?」

「あの、はじの。プールに飛び込みそうで飛び込まなそうな感じのこ」

「あ、ほんとだ。なんで入んないんだろ」


 頭は今にも水面に飛び込もうとしているように見える。が、おしりが引けている。そのうち足の突っ張りがきかなくなってバタバタと羽を動かしそうにも思える。まるで漫画かアニメのように。


「可愛いねぇ………でも、」


 なんだか。


「じれったいなあ…」


 あたしと翔ちゃんの声がぴったり重なった。翔ちゃんとハモることなんてめったにない。なんだか嬉しくなってしまって、真後ろにいる翔ちゃんに振り返って笑う。翔ちゃんは少し困ったような笑顔で応えてくれた。


「飛び込んじゃえばいいのにね」

「ね。……じれったいというかもどかしいというか」

「ん?」


 もごもごと独り言のように何かを言った翔ちゃんにあたしが首を傾けると、薫がわざとらしいせき払いをした。


「その台詞、そのまま2人に………………やっぱりなんでもない。俺は今なにも言っていません」

「えー、なにそれ」


 訊いたところで続きを教えてもらえるわけもなく、薫は"もういいでしょ"と言いながらあたしのポケットにデジカメを返してきた。


「…沙苗ちゃんさ、気づいてる?」