どこからどこまで

 いかにも呆れたといった声をだすと、薫は波の届かないところまで戻っていった。

 そういう問題じゃない、ってことはわかってるけど。

 あのとき感じた懐かしさや大きさ、あたたかさを、これ以上からかわれたくなかった。

 ひとまず薫の"言いたいこと(訊きたいこと)"から解放されてホッとしていると、薫が再び呆れ声で"沙苗ちゃん、"と声をかけてきたのだった。


「波打ち際にサンダル揃えて置くのやめてよ」

「えー、なんで?」

「入水するみたいじゃん」

「入水?そんな、あたしには想ってくれる匂宮も薫もいないもん」

「…え?なに?」

「あー…、『浮舟』?」


 いつの間にか翔ちゃんが薫のすぐ後ろにいた。話を聞かれていたかもしれないと、一瞬ヒヤッとしたが、こんなに開けた場所で今まで気がつかなかったのだから翔ちゃんがあたしたちの近くに来たのはあの話が終わってからであって決して聞かれてはいないのだと信じたいところだ。


「さすが翔ちゃん。おはよー」

「はよ。国語専攻だから、一応。紫はすきな方だし」


 あたしはまず、"さすが"の"さ"が上手くでてくれたことに安心した。正直、薫とあんな話をしたあとでは変に意識してしまうのでは、と思っていた。

 よかった。大丈夫。いつも通り。


「翔ちゃん、思ったより早かったね。っていうかウキフネって何?」

「古文の授業でやらない?『源氏物語』」

「あー、紫って紫式部のことか」

「要するに匂宮と薫っていう男2人に言い寄られてた浮舟っていう女性が、どちらか一方を選ぶことができなくて辛くなって身を投げたっていう」

「片方、名前いっしょなだけに複雑」

「まあ、結局入水しても死ねなかったんだけどね、浮舟」

「え!?そうだったっけ?」

「そうだったんだよ。っていうか、こっち来なよ、さな。足冷やすのよくないよ、ただでさえ寒そうなかっこなんだから」