しばらくした頃。

翔一郎の撮影した京都の景色を集めた写真集が、本屋で売り出された。

「みやこのかぜ」

という題がつけられてある。

広沢池の桜、地蔵院の椿、二尊院の紅葉の馬場、祇園祭の闇に照らされた橋弁慶山、泉涌寺の雪景色…どれも今まで京都を写した写真集には出てこない穴場ばかりで、新鮮な感動をもって、世の話題となった。

──穴場の饗庭。

として一躍にして時の人となり、地元の新聞社で特集の記事が組まれたことすらある。

だからと言って。

翔一郎とエマの暮らしが変わる訳でもない。

いつものように西陣で生活し、時折洛中に出没しては、黄色いリトルカブで去ってゆく。



二月。

寺町のギャラリーで翔一郎の個展が始まった。

選りすぐりの三十点の写真が飾られ、新聞で取り上げられたばかりというのもあり、観客の動員は想定を超える人数である。

「意外やなぁ」

他人事のような口調で翔一郎がボソッといった。

「京都って地味に地元大好きな人が多いからじゃない?」

エマの指摘が翔一郎には面白かったらしく、

「地元大好き、か」

あんまり気にしたことないかも知れへんやろな、と返した。

そこへ。

制服姿の愛が自転車でやって来た。

「先生こんにちは」

「よう来たなあ、まぁそこ座り」

椅子を勧める。

「人すごく来てますね」

「たまたまや」

「ところで私の写真はどこに…?」

「あれやで」

指で示した先には、大きく引き伸ばされた、真っ赤な肥後椿の写真があった。

「あれって、府立の植物園で撮った一枚ですよね」

下鴨の府立植物園にある、椿の林で愛が撮ったものである。

しかも。

カウンターの隣、という誰もが通る位置にかかっている。

「ほんで愛ちゃん」

値段だけは決めときや、と翔一郎はいう。

「値段?」

「もう今日で三日目なんやが、あの写真を欲しいって人がおって」

値段は本人に聞いておく…という話で商談を預かっているのや、というのである。

「でもまだビギナーですし…」

「まぁ奉書版のサイズやし、相場は現像代と額の代金を合わせて一万円ぐらいとちゃいますやろかって答えといたけど、そんなんで大丈夫やろか?」

「はい…」

とはいったが愛には相場がわからない。

「先生のいう通りにします」

「よっしゃ」

これで商談は成立や、と翔一郎は、どこか電話をかけるらしく、席を外した。

翌日。

ローカルのテレビ局のクルーが来た。

翔一郎は不在である。

代理はエマと愛が応対したのだが、

「この花の写真は?」

レポーターの男子アナが尋ねると、果たして愛の肥後椿の写真である。

「まさに女子高生カメラマン、ですね」

男子アナの言葉が妙にいやらしい語感で、愛は途端に曇った顔をした。



個展は無事に終わった。

「撤収、なんとかなったねー」

車がないこの夫婦には撤収も騒動であるらしい。

で。

この日は。

例の愛が撮った肥後椿の写真の納品が決まった。

「でもスゴいなぁ…蛸薬師高倉のタケシマ言うたら、ミシュランで星もらった店やで」

完全に抜かれたな、と翔一郎は見事なまでの敗けっぷりに、笑うより他ない。

「そういう勝ち負けは、あたしは興味ないな」

エマはいった。

「勝ちだと思ったら勝ちだし、敗けだと思ったら敗けだと思う」

「…エマらしいな」

翔一郎はよしよし、という感じにエマの頭を優しく撫でた。



納品の日。

西陣で預かっていた写真を翔一郎がリトルカブに積んで、愛は自転車でそれぞれ蛸薬師高倉まで向かった。

レストラン『タケシマ』の前に着いて電話をすると、

「ドアあいてますよ」

との話で、さっそく納品となった。

飾ってみると、黒壁に椿の真紅がよく映える。

「これがテレビで話題になってる、女子高生カメラマンの写真かぁ」

饗庭さんゴメン、と竹島シェフは拝んだ。

「まぁこれがデビューやから」

勝負はこれからやで、と翔一郎は愛にいった。

「…はいっ!」

今度は威勢の良い返事であった。



三月が来た。

京都の町ではあちこちで遅咲きの梅が咲き誇り、東京よりは遅いものの、古都の早春らしい馥郁たる香りを漂わせている。

撮影の日。

東京から来たグラビアアイドルを乗せたマイクロバスが、西陣の翔一郎の京町家の事務所の前へ横付けした。

「今日は彼女がカメラマンです」

翔一郎が指名したのは愛である。

「えっ?」

マネージャーは気色ばんだ。

「饗庭さんが撮るんじゃないんですか?」

「あのなぁ…彼女、京都で今話題の女子高生カメラマンの香月愛やぞ」

「…ツイッターで話題の、あの香月愛ですか?」

「そんなんやから、関東は困るのや」

サプライズやで、と翔一郎は得意気に胸を張ってみせた。

「おはようございます」

マイクロバスから降りてきたのは、意外にも實平あさ美である。

「ご無沙汰やなぁ」

「お久しぶりです、饗庭さん」

「ご存知なんですか?」

「知ってるも何も、彼女は友達のいとこや」

こないだ嵯峨野に連れてったしやなぁ、というとマネージャーは、

「じゃあ撮影に向かいましょう」

と不機嫌さを丸出し気味にして、マイクロバスに引っ込んだ。



まず香月愛が選んだ撮影箇所は、黒谷の金戒光明寺である。

「衣装はこちらです」

愛が用意したのは、新撰組の段だら羽織の装束であった。

「どういうテーマですか?」

マネージャーは訊いた。

「實平あさ美の修学旅行、ってテーマです」

なのでコスプレが他もあるというのである。

マネージャーは渋い顔をした。

「気に入らないなら帰っても構わないですよ」

珍しく愛は強気に出た。

これには保護者として一応ついてきていたエマも驚いたが、

「ここで帰ったら、契約不履行ですよね」

エマが止めを刺した。

マネージャーはますます苦い顔をした。

着替えると、意外に男装が似合う。

「では撮ります、まず刀を構えてください」

撮影は思ったより順調で、フィルムを2本ほど撮り終えると、

「次は堺町錦小路です」

移動したのは木造の古い、錦湯という銭湯である。

「こちらではこの衣装です」

バスローブとビキニが用意された。

「一応グラビアなんで水着撮りますけど、使えなかったらカットします」

カメラを持つと愛は性格が変わるようであった。

定番なのでビキニ姿は何枚か撮ったが、愛は気に入らなかったらしく、

「バスタオル姿にしてみます?」

肌色のチューブトップの上にバスタオルを巻かせてみると、

「やっぱり自然なのはこっちだよねー」

風呂屋でビキニは不自然だ──というのである。

「それはグラビア的にどうかと…」

マネージャーが文句をぶつぶつ言い出した。

「何か、ご不満でも?」

エマがマネージャーを睨み付けると、

「…何でもないです」

縮み上がった。

こうして錦湯のあとは宮川町で實平あさ美は舞妓姿になり、

「高台寺に移動します」

次は高台寺の臥龍の廊下である。

舞妓から制服に変わると、

「次は京都タワーで望遠鏡を覗くのを撮ります」

次に来た今出川烏丸の同志社のキャンパスでは海老茶の袴に矢絣とブーツに銃というスタイルで、

「ハンサムウーマンの雰囲気で撮ります」

さらに西陣の機屋ではデニムのつなぎ姿で機を織る真似をし、エプロン姿で豆腐屋に行く姿を撮り、最後は船岡山の建勲神社で巫女の姿をして撮影は終わった。

「なんちゅう掟破りや」

マネージャーは弱り果てていたが、

「嫌ならインディーズで写真出しますからいいです」

と開き直られると、どうしようもない。



「實平あさ美×香月愛」

というコラボレーションで撮影されたグラビアが漫画雑誌で発売されると、珍事が起きた。

雑誌の品切れが続出したのである。

「水着のないグラビアなのに、實平あさ美がキラキラしている」

といい、緊急で出版されたオフショットつきの写真集は、實平あさ美がかつて在籍していたアイドルユニットを凌駕してみせた。

これにより。

「天才女子高生カメラマン・香月愛」

という名前は一躍にして全国区となり、

──香月愛の師匠。

と翔一郎は呼ばれるようになっていったのである。

「まぁ世の中そんなもんや」

と翔一郎は苦笑いを浮かべたが、悪い気はしなかったようで、

「これで肩の荷が下りた」

とエマに安堵の顔を見せた。

スターダムには、駈け上るときにはあっという間らしい。