「…僕のせいかなぁ」
しばらくの静寂の後、ノギが呟いた。
「ルカ兄が追いかけられてるのって」
ノギはぼくらと違い、姉上に救われたのではなかった。岸まで流れ着いたところを、ちょうど居合わせたルカに救われたらしい。白い翼に殺されかかったりずいぶん怖い目にあったそうだ。ルカが岸に来ていなければ消されていたということもあってか、ルカの罪は自分の責任だと思っている節がある。
「きみは全然悪くないよ。姉上だって、きみを助けたことに関してはルカのお手柄だって思ってるさ」
「そうかなぁ…」
ノギは自信なさげに身を竦ませた。気が小さいというか優しいというか、ノギは黒い翼に似合わない性格だなと思う。
「悪魔、か」
ぼくはルカの羽根と、姉上の羽根を拾い上げて眺めた。黒くテラテラ光るルカの羽根、灰色のふわふわした姉上の羽根。
『俺たちは悪魔ってんだよ、知らなかったのかぁ?』
ルカはぼくにそう言った。姉上はぼくらのことを黒い翼と呼んだ。だから知らなかった。
ルカは姉上が教えてくれなかったことを色々教えてくれた。ルカは自分のことを黒い翼とは呼ばなかった。
『黒い翼ってなんだぁ? 俺たちは生まれてこのかたずっと「悪魔」よぉ』
姉上がそう言ったんだ、と言ったら、ルカはケタケタ笑った。
『黒い、白い、なんていうのはどこ探してもあいつだけだぜぇ。上でも下でも真ん中でも、俺たち黒いのは悪魔、白いのは天使って呼ばれるんだよ」
上、下、真ん中、というのはそれぞれ、天界、地界、地上のことを指すんだろう。ひどく笑われてぼくは赤面した。今まで姉上の言うことが全てだと思っていたが本当は違うのだろうか。
どうして、姉上はそんなことを言うんだろう、とぼくはルカに尋ねた。ルカは嬉しそうに馬鹿笑いしながら答えてくれた。
『そりゃあ、あいつは天使崩れだからなぁ』
天使崩れ? ぼくは問い返した。
『天界を追い出された堕天使ってやつだよ。天界にはもう帰れねぇのによぉ、天使のプライド捨てれねぇ、中途半端な灰色のまま居座ってやがる』
『あいつは悪魔の仲間にゃなりたくねぇんだろぉよ、だから黒白言って誤魔化してるんだぜぇ』
悪魔になっちまえば楽なのによ、とルカはケタケタ笑っていた。
ぼくは驚いた。姉上が恐ろしい白い翼の仲間だったなんて。ぼくは急に姉上が得体の知れないものに思えた。ぼくはぶんぶんと頭を振った。いや、姉上は姉上じゃないか、たとえ天使だったとしても、ぼくのただひとりの姉上…。ぼくの目覚めを待っていてくれた、姉上の優しいぬくもりを思い出した。あれが嘘だったわけはない。
ぼくが悩み始めたのをルカはおもしろそうに見ていた。ぼくは腹が立った。そうだよ、姉上とこいつとどっちを信じるかなんてわかりきったことじゃないか。ぼくの鋭い視線を感じたのか、ルカは笑いを止めた。
『まぁ、ともかくだ。黒い翼とか白い翼とかいう分類は、あのばばぁの妄想なんだよ』
『白いのは天使、規則正しく生きていーことをして誉めあって嬉しそうにしてるやつら、黒いのは悪魔、自分勝手におもしろおかしく生きてみんなから嫌われるやつら、それがジョーシキってやつよ』
ニヤリと笑う彼の顔は、ぼくの思う悪魔そのものだった。
『だいたい、罪なんてものはねぇんだよ。罪とか罰とかは強いやつが勝手に決めるもんだ。そういうめんどくせーもんがないってのがここの良いところなのに…それがわかってねぇんだあの堕天使さまは』
そこまで一方的に吐き捨てると、ルカは飛んでいってしまった。
ルカとの出会いから、ぼくは色々考えるようになった。
手に持った黒と灰色の羽根を改めて見た。ルカの羽根はぼくらと一緒だ。姉上には悪いけど、ルカの言うとおり悪魔の羽根にしか見えない。黒いだけではない、テラテラした輝きや、鋭く尖った毛先も、全部。昔、ぼくが人として生きていた頃だったか、どこかで習った悪魔の姿を連想させた。
たまに思い出すどす黒い感情だって、ぼくを悪い魂だと告げている。
もう二度と安息のもと生きることが許されないのなら、いっそのこと、ルカのように嵐の中を自由に生きた方が楽しいのかもしれない。雨宿りできる場所を必死に探して生きるよりも。
そう思う度に、姉上が言った言葉が頭をよぎるのだ。
『この世界を緑あふれる楽園にしよう…』
ぼくは姉上を信じたいのだ。それでいいじゃないか、と思った。
ぼくの手から舞い落ちた二枚の羽根は、地面にたどり付く前に、さらさらと崩れ去った。
しばらくの静寂の後、ノギが呟いた。
「ルカ兄が追いかけられてるのって」
ノギはぼくらと違い、姉上に救われたのではなかった。岸まで流れ着いたところを、ちょうど居合わせたルカに救われたらしい。白い翼に殺されかかったりずいぶん怖い目にあったそうだ。ルカが岸に来ていなければ消されていたということもあってか、ルカの罪は自分の責任だと思っている節がある。
「きみは全然悪くないよ。姉上だって、きみを助けたことに関してはルカのお手柄だって思ってるさ」
「そうかなぁ…」
ノギは自信なさげに身を竦ませた。気が小さいというか優しいというか、ノギは黒い翼に似合わない性格だなと思う。
「悪魔、か」
ぼくはルカの羽根と、姉上の羽根を拾い上げて眺めた。黒くテラテラ光るルカの羽根、灰色のふわふわした姉上の羽根。
『俺たちは悪魔ってんだよ、知らなかったのかぁ?』
ルカはぼくにそう言った。姉上はぼくらのことを黒い翼と呼んだ。だから知らなかった。
ルカは姉上が教えてくれなかったことを色々教えてくれた。ルカは自分のことを黒い翼とは呼ばなかった。
『黒い翼ってなんだぁ? 俺たちは生まれてこのかたずっと「悪魔」よぉ』
姉上がそう言ったんだ、と言ったら、ルカはケタケタ笑った。
『黒い、白い、なんていうのはどこ探してもあいつだけだぜぇ。上でも下でも真ん中でも、俺たち黒いのは悪魔、白いのは天使って呼ばれるんだよ」
上、下、真ん中、というのはそれぞれ、天界、地界、地上のことを指すんだろう。ひどく笑われてぼくは赤面した。今まで姉上の言うことが全てだと思っていたが本当は違うのだろうか。
どうして、姉上はそんなことを言うんだろう、とぼくはルカに尋ねた。ルカは嬉しそうに馬鹿笑いしながら答えてくれた。
『そりゃあ、あいつは天使崩れだからなぁ』
天使崩れ? ぼくは問い返した。
『天界を追い出された堕天使ってやつだよ。天界にはもう帰れねぇのによぉ、天使のプライド捨てれねぇ、中途半端な灰色のまま居座ってやがる』
『あいつは悪魔の仲間にゃなりたくねぇんだろぉよ、だから黒白言って誤魔化してるんだぜぇ』
悪魔になっちまえば楽なのによ、とルカはケタケタ笑っていた。
ぼくは驚いた。姉上が恐ろしい白い翼の仲間だったなんて。ぼくは急に姉上が得体の知れないものに思えた。ぼくはぶんぶんと頭を振った。いや、姉上は姉上じゃないか、たとえ天使だったとしても、ぼくのただひとりの姉上…。ぼくの目覚めを待っていてくれた、姉上の優しいぬくもりを思い出した。あれが嘘だったわけはない。
ぼくが悩み始めたのをルカはおもしろそうに見ていた。ぼくは腹が立った。そうだよ、姉上とこいつとどっちを信じるかなんてわかりきったことじゃないか。ぼくの鋭い視線を感じたのか、ルカは笑いを止めた。
『まぁ、ともかくだ。黒い翼とか白い翼とかいう分類は、あのばばぁの妄想なんだよ』
『白いのは天使、規則正しく生きていーことをして誉めあって嬉しそうにしてるやつら、黒いのは悪魔、自分勝手におもしろおかしく生きてみんなから嫌われるやつら、それがジョーシキってやつよ』
ニヤリと笑う彼の顔は、ぼくの思う悪魔そのものだった。
『だいたい、罪なんてものはねぇんだよ。罪とか罰とかは強いやつが勝手に決めるもんだ。そういうめんどくせーもんがないってのがここの良いところなのに…それがわかってねぇんだあの堕天使さまは』
そこまで一方的に吐き捨てると、ルカは飛んでいってしまった。
ルカとの出会いから、ぼくは色々考えるようになった。
手に持った黒と灰色の羽根を改めて見た。ルカの羽根はぼくらと一緒だ。姉上には悪いけど、ルカの言うとおり悪魔の羽根にしか見えない。黒いだけではない、テラテラした輝きや、鋭く尖った毛先も、全部。昔、ぼくが人として生きていた頃だったか、どこかで習った悪魔の姿を連想させた。
たまに思い出すどす黒い感情だって、ぼくを悪い魂だと告げている。
もう二度と安息のもと生きることが許されないのなら、いっそのこと、ルカのように嵐の中を自由に生きた方が楽しいのかもしれない。雨宿りできる場所を必死に探して生きるよりも。
そう思う度に、姉上が言った言葉が頭をよぎるのだ。
『この世界を緑あふれる楽園にしよう…』
ぼくは姉上を信じたいのだ。それでいいじゃないか、と思った。
ぼくの手から舞い落ちた二枚の羽根は、地面にたどり付く前に、さらさらと崩れ去った。
