それから、長い時が流れた。
姉上は忙しい人で、仕事だと言っては頻繁に外出した。すぐに帰って来る時もあれば、なかなか帰って来ない時もあった。少し寂しかったが、コークスがいたので平気だった。ぼくらは議事堂でおしゃべりや飛ぶ練習などをして暇をつぶした。
姉上はここ以外を案内してくれなかったが、きっと地界にはここしかないんだろう。議事堂にはいろんな人が訪れた。声をかけても反応がなかったり、いきなり怒鳴ってくる人、何かぶつぶつ言うだけの気味の悪い人もいた。そんな中、ぼくらはふたりの仲間に出会った。
「しけたツラしてやがんなぁ、バニ公」
不意に上から声を掛けられた。顔を上げようと思った瞬間、視界に意地悪そうな笑顔が飛び込んできた。
「わあ! びっくりした…心臓に悪いからやめてよ~」
「俺たちにゃもう心臓なんかねぇだろぉ」
そう言って彼は下品に笑った。
彼の名はルカと言った。やることもすっかりなくなってぼくらが途方に暮れていたとき、嵐のようにやってきて、いつの間にか仲良くなっていた。
「てめーらの顔見てたらメシがまずくならぁ」
だったら見に来なきゃいいのに、と思ったが、ほんとに来なくなったら寂しいので言わないでおいた。代わりに、彼が汚くくちゃくちゃむさぼってる何かを指差して聞いた。
「なに食べてるんだい?」
「これかぁ? さっきその辺で会った魔物だぜぇ」
思わず、げっと声をあげる。
「また変なもの食べて…おなか壊すよ」
「俺たちにゃ内臓ねぇんだから壊れねぇよ」
再びケタケタ笑う。この笑い、初めは苦手だったんだけど最近は慣れてきた。ぼくは苦笑いして聞いた。
「おいしいの?」
「てめーらの顔見てたらまずくなった」
ルカは手にした塊をべちっと床に叩きつける。塊はどろりととろけるように消えていった。
彼の理不尽な発言も気まぐれ加減ももう慣れていたので、ぼくは特に気にせず軽く伸びをかますと、隣に座る妹に話しかけた。
「だって、暇なんだもの…ねぇ、こーたん」
彼女は紅潮した顔でぼうとしていた。
「こーたん…?」
反応がないので、正面にいた少年に話しかけた。
「ねぇ、ノギ」
「うん。暇だものね」
少年は柔和な笑みを湛えて頷いた。
「暇、ヒマってなぁ…」
ルカはぼくらを見回し呆れたようなため息をつく。
「こんなじめじめしたとこにずっといりゃあ暇だろぉよ」
ルカははっとしたように空を見上げると、突如、ばさっと翼を広げる。ぼくの視界を埋め尽くすほど大きな翼だ。
「じゃな! ばばぁが来やがったからいくぜぇ」
そう言い捨てると、一瞬にして彼は消え去った。後には二、三枚の黒光りした羽根だけ残された。ほんと、嵐みたいなやつだ、と思った。
隣で惚けていたコークスが、急に立ち上がった。舞い落ちた羽根を拾い、空を見上げる。
「どしたの、こーたん」
彼女はしばらくの沈黙ののち、聞き取れないほどの声で呟いた。
「…かっこええなぁ…」
「はあ?」
何を言い出すかと思ったら。ぼくは呆れた。
「今度はいつ会えるかな…」
すっかり自分の世界に入ってしまっている。
「だってさ、どう思う? ノギ」
「僕も、ルカ兄はかっこいいと思うよ」
少年も羽根を拾い上げてにこりと笑った。だめだ、すっかり毒されてるこの人たち…ぼくはため息をついた。
たしかに、ああいうワルに憧れる気持ちも分かるけど、ぼくが憧れるのは姉上のようなタイプで…
「いまルカがおらんかったか」
突然背後から聞こえたハスキーボイスにぼくは身を凍らせた。
「あ、あ、姉上!」
背後からどす黒い気を感じる…ぼくはぶるぶる震えながら答えた。
「イマシタ…デモ、モウイッチャイマシタ…」
「そうか」
姉上はぽんとぼくの頭に手を置いた。ぼくの緊張はようやく解ける。見ると、ノギはコークスの後ろに隠れてまだぶるぶるしていた。対してけろりとした顔のコークスは、手に持った羽根をひらひらさせながら言った。
「なんで姉さまはそんなにルカさんを追いかけまわすの?」
姉上はギロリと威圧的な視線をコークスに向ける。コークスは依然ケロリとしたままで効果がなさそうだとわかると、姉上はため息をついて答えた。
「あやつは法を犯した。無断地上侵入数知れず…」
ちらりとノギを見やる。
「無断岸上陸までやらかしておる」
ノギは彼女の視線にさらに縮みこむ。コークスは半笑いを浮かべて肩をすくめてみせた。
「ちょっとくらいどうでもいいじゃん、プラスになってることもあるんだし」
「ルール違反は裁かれねばならん。例外はない」
姉上はぴしゃりと言い放つ。そして厳しい顔つきでぼくらを見回すと、低い声で言った。
「あまりあやつに肩入れするでないぞ。…あやつのように悪魔を演じても、辛いだけだ」
姉上は翼を広げ、飛び去っていった。ぼくの目の前に、ふわりと灰色の羽根が舞い降りた。
姉上は忙しい人で、仕事だと言っては頻繁に外出した。すぐに帰って来る時もあれば、なかなか帰って来ない時もあった。少し寂しかったが、コークスがいたので平気だった。ぼくらは議事堂でおしゃべりや飛ぶ練習などをして暇をつぶした。
姉上はここ以外を案内してくれなかったが、きっと地界にはここしかないんだろう。議事堂にはいろんな人が訪れた。声をかけても反応がなかったり、いきなり怒鳴ってくる人、何かぶつぶつ言うだけの気味の悪い人もいた。そんな中、ぼくらはふたりの仲間に出会った。
「しけたツラしてやがんなぁ、バニ公」
不意に上から声を掛けられた。顔を上げようと思った瞬間、視界に意地悪そうな笑顔が飛び込んできた。
「わあ! びっくりした…心臓に悪いからやめてよ~」
「俺たちにゃもう心臓なんかねぇだろぉ」
そう言って彼は下品に笑った。
彼の名はルカと言った。やることもすっかりなくなってぼくらが途方に暮れていたとき、嵐のようにやってきて、いつの間にか仲良くなっていた。
「てめーらの顔見てたらメシがまずくならぁ」
だったら見に来なきゃいいのに、と思ったが、ほんとに来なくなったら寂しいので言わないでおいた。代わりに、彼が汚くくちゃくちゃむさぼってる何かを指差して聞いた。
「なに食べてるんだい?」
「これかぁ? さっきその辺で会った魔物だぜぇ」
思わず、げっと声をあげる。
「また変なもの食べて…おなか壊すよ」
「俺たちにゃ内臓ねぇんだから壊れねぇよ」
再びケタケタ笑う。この笑い、初めは苦手だったんだけど最近は慣れてきた。ぼくは苦笑いして聞いた。
「おいしいの?」
「てめーらの顔見てたらまずくなった」
ルカは手にした塊をべちっと床に叩きつける。塊はどろりととろけるように消えていった。
彼の理不尽な発言も気まぐれ加減ももう慣れていたので、ぼくは特に気にせず軽く伸びをかますと、隣に座る妹に話しかけた。
「だって、暇なんだもの…ねぇ、こーたん」
彼女は紅潮した顔でぼうとしていた。
「こーたん…?」
反応がないので、正面にいた少年に話しかけた。
「ねぇ、ノギ」
「うん。暇だものね」
少年は柔和な笑みを湛えて頷いた。
「暇、ヒマってなぁ…」
ルカはぼくらを見回し呆れたようなため息をつく。
「こんなじめじめしたとこにずっといりゃあ暇だろぉよ」
ルカははっとしたように空を見上げると、突如、ばさっと翼を広げる。ぼくの視界を埋め尽くすほど大きな翼だ。
「じゃな! ばばぁが来やがったからいくぜぇ」
そう言い捨てると、一瞬にして彼は消え去った。後には二、三枚の黒光りした羽根だけ残された。ほんと、嵐みたいなやつだ、と思った。
隣で惚けていたコークスが、急に立ち上がった。舞い落ちた羽根を拾い、空を見上げる。
「どしたの、こーたん」
彼女はしばらくの沈黙ののち、聞き取れないほどの声で呟いた。
「…かっこええなぁ…」
「はあ?」
何を言い出すかと思ったら。ぼくは呆れた。
「今度はいつ会えるかな…」
すっかり自分の世界に入ってしまっている。
「だってさ、どう思う? ノギ」
「僕も、ルカ兄はかっこいいと思うよ」
少年も羽根を拾い上げてにこりと笑った。だめだ、すっかり毒されてるこの人たち…ぼくはため息をついた。
たしかに、ああいうワルに憧れる気持ちも分かるけど、ぼくが憧れるのは姉上のようなタイプで…
「いまルカがおらんかったか」
突然背後から聞こえたハスキーボイスにぼくは身を凍らせた。
「あ、あ、姉上!」
背後からどす黒い気を感じる…ぼくはぶるぶる震えながら答えた。
「イマシタ…デモ、モウイッチャイマシタ…」
「そうか」
姉上はぽんとぼくの頭に手を置いた。ぼくの緊張はようやく解ける。見ると、ノギはコークスの後ろに隠れてまだぶるぶるしていた。対してけろりとした顔のコークスは、手に持った羽根をひらひらさせながら言った。
「なんで姉さまはそんなにルカさんを追いかけまわすの?」
姉上はギロリと威圧的な視線をコークスに向ける。コークスは依然ケロリとしたままで効果がなさそうだとわかると、姉上はため息をついて答えた。
「あやつは法を犯した。無断地上侵入数知れず…」
ちらりとノギを見やる。
「無断岸上陸までやらかしておる」
ノギは彼女の視線にさらに縮みこむ。コークスは半笑いを浮かべて肩をすくめてみせた。
「ちょっとくらいどうでもいいじゃん、プラスになってることもあるんだし」
「ルール違反は裁かれねばならん。例外はない」
姉上はぴしゃりと言い放つ。そして厳しい顔つきでぼくらを見回すと、低い声で言った。
「あまりあやつに肩入れするでないぞ。…あやつのように悪魔を演じても、辛いだけだ」
姉上は翼を広げ、飛び去っていった。ぼくの目の前に、ふわりと灰色の羽根が舞い降りた。
