悪夢を見ているのだろうか。黒い少女の形をした影はうなされつづけていた。たまにノイズが入ったように影は揺らいだ。そのたびに姉上は頭を撫でながら優しく名前を呼んであげるのだった。
ぼくにも同じことをしてくれていたのだろうなと思った。ぼくは黙ってふたりのそばに座っていた。
どれくらいの間、そうしていただろうか。ぼくは自分がちっとも眠くならないのに気が付いた。おなかもすかないや、と思った。
ぼくはだんだん自分がおかしくなってしまったことを実感し始めた。永遠にぼくはこの何もない世界でただぼんやり生きていくのだろうか。不安になった。
気が遠くなるほど長い時間が流れた気がした。黒い影はどんどん肌の色を取り戻しているようだった。揺らぐ頻度が減り、やがて少女の姿に固定された。
少女は一筋涙を流すと、ゆっくり目を開いた。黄色い瞳だった。
「目を覚ましたか、コークス」
姉上は微笑んだ。
「………お母ちゃん」
第一声はそれだった。姉上は苦笑して言った。
「母ではない。わしの名はアネモネだ」
「お母ちゃんじゃないの」
コークスは満面に落胆の色を浮かべた。ぼくとおんなじだ、と思って愉快になった。
それから、周りに興味を持ち始めた彼女に姉上はぼくの時と同様の説明をした。コークスはあまりわかってないような相槌を打ちつつ聞いていた。
やがてふたりは立ち上がった。ぼくもそれに倣う。
「少し地界を案内しよう。バニアにも案内はまだだったのう」
姉上はコークスの手を引いて歩き出した。ぼくは空いている姉上の右手をしっかり確保した。こうやって三人並んで歩いてると、仲の良い三姉妹みたいだなと思い、ほくそ笑んだ。
たどり着いたのは廃墟だった。そびえ立つ高い外壁は円形に並び、内側は階段状となって丸い広場を囲っていた。競技場みたいだな、と思った。
「ここは議事堂と呼んでいる場所だ」
広場の真ん中に歩みながら姉上が言った。
「地界の住人たちは群れるのを嫌うのだが…ここはみなが集まってくる場所だ」
いまは誰もおらんがな、と姉上は苦笑して呟いた。
「みんな? 仲間は、たくさんいるの?」
姉上はこくりと頷く。
「扱いの難しいやつばかりだがな」
ぼくは嬉しくなった。なにもない世界じゃないんだ、この世界には仲間がいる。みんなぼくのように辛い思いをしてきたんだ、きっとぼくを仲間はずれにはしないだろう。
目を輝かせるぼくを見て、姉上は複雑そうに笑う。
「まあ、そんな期待はするな…だが、できれば仲良くしてやってくれ」
姉上はそれだけ言うと、ばさっと翼を広げた。
「これからわしは仕事がある…ふたりは、ここで待っていてくれるか」
ぼくとコークスが、不満の声を上げたので、姉上は困った顔をした。
「どうしても行かねばならんのだ。すぐ戻るから…コークスを頼んだぞ、バニア」
ぼくは驚いた。姉上がぼくを頼りにしてくれてる。それが嬉しくて、不安な気持ちはどこかに行ってしまった。ぼくはうん、と元気よく応えた。
姉上はにこりと微笑むと、空に飛び立っていった。残されたぼくらは、議事堂の階段に座った。
コークスを改めて見つめた。薄汚れた銀髪はいまはもうなく、真っ黒に染まっている。赤かった瞳は黄色に変色し、長い前髪に隠れて片方しか見えない。ぼくからの視線に、コークスは怪訝な顔をした。
「あ、挨拶が遅れちゃったね。ぼくはバニアって言うんだ。よろしく、コークス」
コークスは固い表情を崩さず、軽く会釈しただけだった。ぼくは困惑した。警戒されている。でも、ぼくは笑顔で続けた。
「ぼくもついこないだ姉上に助けられたんだ。きみとおんなじだよ」
ぼくの言葉に、コークスは興味を示したらしく、ちらちらとぼくを見始めた。ぼくは彼女の言葉を待ってみた。
「…あねうえ? さっきの人はあんたのお姉ちゃん?」
コークスからおずおずと向けられる視線は羨望が込められているように感じた。ぼくはにっこり笑って応えた。
「うん、そうだよ! そしてきみはぼくらの妹だ。お姉ちゃんって呼んでくれてもいいよ!」
ぼくはコークスよりも背は小さいけど。ぼくのほうがお姉ちゃんなんだ。ぼくは自分を納得させるように頷いた。
「お姉ちゃん…?」
コークスは、顔を赤らめてうつむく。変なこと言って困らせちゃったかな、と今更思った。
しかし、コークスは恥ずかしそうに笑って言った。
「うち、ずっと一番上だったから…お姉ちゃん、なんて新鮮だな」
ぼくもずっと一番下だったから、妹ができるなんて初めてだった。ぼくらははじめて、ちゃんと向かい合ってくすくす笑い合った。
こうして、ぼくらは三姉妹となったんだ。
ぼくにも同じことをしてくれていたのだろうなと思った。ぼくは黙ってふたりのそばに座っていた。
どれくらいの間、そうしていただろうか。ぼくは自分がちっとも眠くならないのに気が付いた。おなかもすかないや、と思った。
ぼくはだんだん自分がおかしくなってしまったことを実感し始めた。永遠にぼくはこの何もない世界でただぼんやり生きていくのだろうか。不安になった。
気が遠くなるほど長い時間が流れた気がした。黒い影はどんどん肌の色を取り戻しているようだった。揺らぐ頻度が減り、やがて少女の姿に固定された。
少女は一筋涙を流すと、ゆっくり目を開いた。黄色い瞳だった。
「目を覚ましたか、コークス」
姉上は微笑んだ。
「………お母ちゃん」
第一声はそれだった。姉上は苦笑して言った。
「母ではない。わしの名はアネモネだ」
「お母ちゃんじゃないの」
コークスは満面に落胆の色を浮かべた。ぼくとおんなじだ、と思って愉快になった。
それから、周りに興味を持ち始めた彼女に姉上はぼくの時と同様の説明をした。コークスはあまりわかってないような相槌を打ちつつ聞いていた。
やがてふたりは立ち上がった。ぼくもそれに倣う。
「少し地界を案内しよう。バニアにも案内はまだだったのう」
姉上はコークスの手を引いて歩き出した。ぼくは空いている姉上の右手をしっかり確保した。こうやって三人並んで歩いてると、仲の良い三姉妹みたいだなと思い、ほくそ笑んだ。
たどり着いたのは廃墟だった。そびえ立つ高い外壁は円形に並び、内側は階段状となって丸い広場を囲っていた。競技場みたいだな、と思った。
「ここは議事堂と呼んでいる場所だ」
広場の真ん中に歩みながら姉上が言った。
「地界の住人たちは群れるのを嫌うのだが…ここはみなが集まってくる場所だ」
いまは誰もおらんがな、と姉上は苦笑して呟いた。
「みんな? 仲間は、たくさんいるの?」
姉上はこくりと頷く。
「扱いの難しいやつばかりだがな」
ぼくは嬉しくなった。なにもない世界じゃないんだ、この世界には仲間がいる。みんなぼくのように辛い思いをしてきたんだ、きっとぼくを仲間はずれにはしないだろう。
目を輝かせるぼくを見て、姉上は複雑そうに笑う。
「まあ、そんな期待はするな…だが、できれば仲良くしてやってくれ」
姉上はそれだけ言うと、ばさっと翼を広げた。
「これからわしは仕事がある…ふたりは、ここで待っていてくれるか」
ぼくとコークスが、不満の声を上げたので、姉上は困った顔をした。
「どうしても行かねばならんのだ。すぐ戻るから…コークスを頼んだぞ、バニア」
ぼくは驚いた。姉上がぼくを頼りにしてくれてる。それが嬉しくて、不安な気持ちはどこかに行ってしまった。ぼくはうん、と元気よく応えた。
姉上はにこりと微笑むと、空に飛び立っていった。残されたぼくらは、議事堂の階段に座った。
コークスを改めて見つめた。薄汚れた銀髪はいまはもうなく、真っ黒に染まっている。赤かった瞳は黄色に変色し、長い前髪に隠れて片方しか見えない。ぼくからの視線に、コークスは怪訝な顔をした。
「あ、挨拶が遅れちゃったね。ぼくはバニアって言うんだ。よろしく、コークス」
コークスは固い表情を崩さず、軽く会釈しただけだった。ぼくは困惑した。警戒されている。でも、ぼくは笑顔で続けた。
「ぼくもついこないだ姉上に助けられたんだ。きみとおんなじだよ」
ぼくの言葉に、コークスは興味を示したらしく、ちらちらとぼくを見始めた。ぼくは彼女の言葉を待ってみた。
「…あねうえ? さっきの人はあんたのお姉ちゃん?」
コークスからおずおずと向けられる視線は羨望が込められているように感じた。ぼくはにっこり笑って応えた。
「うん、そうだよ! そしてきみはぼくらの妹だ。お姉ちゃんって呼んでくれてもいいよ!」
ぼくはコークスよりも背は小さいけど。ぼくのほうがお姉ちゃんなんだ。ぼくは自分を納得させるように頷いた。
「お姉ちゃん…?」
コークスは、顔を赤らめてうつむく。変なこと言って困らせちゃったかな、と今更思った。
しかし、コークスは恥ずかしそうに笑って言った。
「うち、ずっと一番上だったから…お姉ちゃん、なんて新鮮だな」
ぼくもずっと一番下だったから、妹ができるなんて初めてだった。ぼくらははじめて、ちゃんと向かい合ってくすくす笑い合った。
こうして、ぼくらは三姉妹となったんだ。
