「ここが風呂」
 食堂を出て、廊下の突き当たりのドアを開ける。中は小さな洗面台と、奥にさらにドアがあり、その中には小さなバスタブとシャワーがあった。
「浴槽が壊れてて使えないんだ。使うときはシャワーだけで頼むよ」
 うへぇ。でも、まあ、こんな窮屈なバスタブなんか使う気も起こらないし、それ以前に
「この怪我じゃ入れないだろ」
「うん、まあ、そうだな。しばらくは無理かもな」
 医者は苦笑してドアを閉じた。洗面台には歯ブラシやらコップやら、山積みのタオルやらがごちゃっと置いてあり、生活感が溢れている。

「あれ?」
 ぼくは声を上げた。
「どうした?」
 医者が不思議そうな顔で見てきた。
 なんだか、奇妙な感覚に襲われたのだ。なにか、足りない?なにか、あるはずのものがないように思えた。まあ、ないものはたくさんあるよな、ぼくの実家とくらべたら。どうにも違和感の原因が掴めないので、ぼくは笑って誤魔化すだけにとどめた。

 その後、トイレ、いくつかの病室、診察室、待合室、図書室、二階にある三兄弟の部屋や屋外の物干し場、洗い場、などに案内された。妹の部屋と病室は遠慮してもらいたいが、ほかの場所は自由に出入りしてくれていいよ、と雑な説明を受けた。小さい家に不釣り合いな、やたら大きな図書室がかなり僕の気を引いた。しばらくは退屈しなくてすみそうだ。そして最後に、裏口のすぐ外に設けられた階段に行き着いた。
「ここは、地下室の入り口だ」
「地下室?」
 階下は明かりがなく、まっくらでなにも見えない。
「ここにはなにがあるんだい?」
 ぼくの質問に彼は曖昧に笑って、めずらしく強い口調で言った。
「ここには近づかないようにしてほしいんだ」
「なになに? なんかやばいもん隠してんの~?」
 ぼくのからかいに、彼は微笑を浮かべたまま答えない。
 なんだよ、えらく不穏じゃないかい。
 ぼくはふと笑いを消して言った。
「それは、規則かい?」
 不思議そうな顔をする医者に向けて、もう一度聞く。
「ここで安らかに暮らすための規則かい?」
「そうだよ」
 医者は一言、そう答えた。
「そっか。それならいいや」
 なにがあるやら気にはなるが、規則なら仕方ない。ぼくは興味をなくして自分から裏口に戻った。規則というやつは、やぶったらろくでもないことしか起こらない。ぼくは今の所、好奇心より安心が欲しいんだ。
 ぼくのしらけた様子に医者のほうは安心したらしい。ぼくの前に駆けてくると、裏口のドアを開けてくれた。
「お昼に軽く診察をするから、それまでは自由にしててくれ」
 ぼくの部屋の前で、見学会は解散となった。閉めたドアの背後から、ぱたぱたと階段を駆け上がる音が聞こえる。すねた妹を迎えに行ったのだろう。

 さあて、ぼくはどうしようかな。とりあえず布団に潜り込んで窓を見上げた。 なぜだか窓はすごく高い位置にあった。
「なんでだろう」
 ぼくはひとりごちたが、今日は不思議なことが多過ぎて。
「まあいいや」
 ぼくはごろりと寝返りを打ち、そのまま考えるのをやめた。