寒いのか、痛いのか、はたまた、おなかがすいているのか。

 岩肌に寄りかかって、ぼくはぼんやりと考えていた。
 吹き付ける風は、ぼくが纏うぼろ布のような衣服をばたばたと靡かせる。雪が混じっているようだ。暗くてよく見えないけれど、確かに肌を濡らす存在を感じる。
 ぼろ布から突き出した、木の棒のような足を見た。藪の中を歩き回ったんだった。傷だらけで赤黒い。前見たときより、一回り細くなったなぁ、と思った。
 人って、こんなに細くなるんだ。どこまで細くなるのかなぁ。少し前はそんなことを思ったりした気もするが、今はどうでも良かった。
 空を見上げる。薄く雲がかかっている夜空。ぼんやりとした満月があたりを照らしていた。
 どうしてぼくはこんなところにいるんだっけ、と考えた。記憶が、映像のように夜空に浮かんできた。さながら観客はぼく一人の映画館みたいだった。

 ぼくは、十人兄弟の末っ子だった。両親も、兄弟も、祖父母も、みんな長耳族の一族だった。
 ぼくは、短耳だった。一族の中で、ぼくだけ、仲間はずれだった。
 父は、母を裏切り者とののしり、ぼくをないものとして扱った。母も、ぼくを嫌なものを見る目で見た。兄弟も、ぼくをのけものにしてばかにした。
 どうってことはない、短耳は単に劣性遺伝子だったのだ。ずっと一族で秘められてきたこの劣性形質が、どういう運命のいたずらか、ぼくのところで表面化してきただけのことだった。母はべつに父を裏切っちゃいないし、ぼくは仲間はずれなんかじゃなかったんだ。でも、家族は頭が悪かったから、そんなこともわからなかった。
 ぼくはよく働いた。よく勉強もした。家族で一番できが良かった。でも、家族はぼくをばかにした。よその子だといった。ぼくはよその子でよかった。よその子になりたかった。
 今年は、寒かったんだ。とっても寒かった。だから、作物が出来なかったんだ。
 ぼくの村には、飢饉が訪れた。みんな飢えていた。友達がいなくなった。さらに友達がいなくなった。そして、いまぼくもここにいる。
 ぼくは父に連れられて、この山に来た。父は馬車からぼくを突き落として去っていった。ぼくは必死で追いかけたけど、追いつけなかった。
 ぼくは捨てられたんだ。いなくなった友達もみんな捨てられたんだ。
 ぼくが一番働いていたのに。きっと、あのひとつ上の生意気な姉、あの役立たずでのろまな娘は、いまごろぼくのように捨てられているだろう。きっと、その上のよく食べる兄も、いまごろぼくのように捨てられているだろう。捨てても捨てても、あの家族は楽にならないだろう。
すぐみんな飢えて死んでしまうだろう。そう思うと愉快な気分になった。
 ぼくがどれだけ役に立っていたか、思い知りながら死ぬといい。後悔しながら、うんと苦しんで死ぬといい。ぼくは、呪いの言葉を吐きながら、さむいんだかいたいんだか、に耐えていた。
 がさり、と音がした。見ると、目の前に男の子が立っていた。ぼくと同じように痩せ細って、さらに痩せた女の子を背負っていた。
見知った顔だった。ぼくが捨てられる数日前にいなくなった兄妹だった。
「きみたちも捨てられたのかい?」
 ぼくはふふと笑った。仲間がいる、とわかっただけでも心が安らいだ。惨めに死にゆくのはぼくだけじゃないんだ。
 男の子は、ぼくの同級生だった。できの悪い子で、よく宿題を手伝ってあげた。明るい子で、嫌いじゃなかった。その子が、村にいたころでは考えられないような生気のない顔でぼくを見下ろしている。ぼくもそんな顔なんだろうなと思った。
「妹が、死にそうなんだ…」
 ぽつりと呟いた。なにを今更、と思った。ぼくらはみんな死にそうじゃないか。
「死にそうなんだ…」
 ブルブル震えだすのがわかった。彼の手に重そうな木の棒が握られているのに気が付いた。
「食べないと死んじゃうんだ…」
 その子はぼくに話しかけているんじゃないんだ。瞳にぼくを映しながらぼくを見ていない。自分に言い聞かせるように呟いている。
手に持った棒を強く握りしめたのを見てぼくは悟った。逃げようと思ったが、脚はもう動かない。恐怖は浮かばなかった。代わりに憎悪が背中を駆け上がってくるのがわかった。
 仲間だと思ったのに。一緒に死んでくれる仲間を見つけたと思ったのに。目の前の少年は、背中の妹と生きるためにぼくを喰おうとしている。
 許せなかった。みんな、どうしてぼくを仲間はずれにするの。ぼくは仲間だと思っていたのに…。
 家族、兄弟、クラスメート、村人たち、すべての人に対する憎悪が、心の中を満たした。
 その憎悪が目の前の兄妹に向けられる。
 どうして、どうして、一緒に死んでくれないの
 ぼくがいたいのもさむいのもくるしいのもつらいのもぜんブオマエラノセイダ
 木の棒が振り上げられるのが見えた。

 ユルサナイ

 ぼくの中で黒いものが膨れ上がるのを感じた。
 そこでぼくの意識は途切れた。