今でもよく思い出すのが、御茶ノ水の雑貨店だ。画材屋さんだったかもしれない。初めて出会ってから多分5年以上10年以下経っていた。もう恋人ではなくて、友達でもなくて、どうして私達はそうやって会うんだろうなあ。


通りの向こう側にちょっと可愛い画材屋さんがあった。硝子張りの向こうでパステルカラーのあるいはビビッドカラーの雑貨や画材が魅力的だ。通り過ぎながら見たけれど、彼が好きそうなお店ではなかったから黙って通り過ぎようとして
 「あの店、好きそうじゃない?」
と、彼が通りをそのお店のほうに渡りながら言った。もう一度いうと出逢ってからそして多分恋人として別れてから5年以上経っていて、そうやってある程度の時が過ぎた後でまだ彼が自分の好みを把握してくれているということは"ちょっと"かなり嬉しい。誰でもそうだと思う。昔の彼氏や彼女にはもう会えないという人もいるだろうけれど、何かのきっかけで再会したとき彼や彼女がまだ自分の好みの何かを覚えてくれていたら誰だってその時の私と同じような、ちょっと胸をつかまれたみたいな気持ちになると思う。


私はその時のことを、それに似たような事は多分いくらもあったと思うけれど、とにかくその時の画材屋さんを通りのこちら側から見たときの雰囲気と、通りの向こう側へ向かう時の気持ちと、あの日の御茶ノ水の町の明るさとをなぜかよく思い出す。

どこかの街で、やさしげな絵葉書が並ぶスタンドを見たとき、色鉛筆が整然と並んでいるのを見たとき、硝子張りのお店の中でモービルが優しく動いているのを見たとき・・・それだけではない。
もっと生活感の溢れた景色の中でさえ。たとえば、木のまな板の上に野菜くずがのっているのを包丁で除けながら。たとえば、ソファーの下に掃除機を入れながら光にあたった埃が舞うのを見た瞬間に。