2011年3月11日。
東関東を襲った大地震・大津波は、多くの人からかけがえのない物を奪い去りまた同時に人々に本当に大事なものについて教えてくれた。平穏に暮らしていた毎日の中ではなんだかあまりにも考えていなかったけれど、とみんながそれぞれに大事なこと・大事な人について考えたのではないか。

2011年3月19日。
スーパームーン。もっと綺麗な日本語の表現があるんじゃないの?と思うんだけれどとにかくそのスーパームーン。月が地球にもっとも接近した時に満月になる、という幸運は18年に一度だそうだ。とても美しい月、雲に隠れることがなくてよかった。 「見れた?」 ときくと「見れたよ」 と答えた。 いつもそっけない。「月が綺麗ですねって言ったのは漱石?」 と彼は言う。 (そうよ。だけどそれは、「I love you」をそう訳したのよ?) でもそれは言わない。

2011年3月24日。
そうだ、母は私が彼と結婚するんだと思ってたと言っていた。どうしてか分からないけれど、私と縁のある人だと思ったのに、と。そういう意味での縁はなかったけれど、確かに縁があったんだろうなあと思う。でなければもう出会ってから16年こうしてつながっているのが不思議なくらいだ。

I love youを「汝を愛す」と訳した学生に、「今宵は月が綺麗ですね」といえばまともな女なら君の気持ちを察してくれるはずだ、と漱石が言ったという。漱石が現代で教壇に立っていたなら、なんと訳したのだろうか。ただ「君が好きだよ」。多分それさえ言ってくれたら、それ以上のことはすべて伝わるのに、と思う。「月が綺麗だね」とだけ言われても、きっとすべてが伝わるのはとても長い時間を経た後だ。多分。


「愛してる」「結婚しよう」も言わないで「"月が綺麗"は漱石だっけ?」