地面が揺れると心も揺れるのだろうか。

4月7日、震災以来一番大きな余震が来た。長い間揺れて、テレビをつけたり防災用品を見つめたりしてしばらく落ち着くとつい「怖かったね」と話しかけてしまった。

「おはよう」と話しかけて「おはよう」と返って来る、ただそれだけで一日が終わる日もあるし、今日は一度も話しかけなかった(向こうから話しかけてくることはないのでその日は一度も話さなかった)と言う日もあるのに必ずコンピュータをつけると彼とのチャット欄を開いておく。彼がオンラインになったりアイドルになったりするのを見て、また仕事をしたり席を外したりコンピュータの前に戻るとまた確認する。見守っているようにして。


そうだった、あの大きな地震が来た日に、彼は無事だったはずだが・・・と思いながらも気になって仕方がなくて、ありとあらゆる彼からの連絡が来るかもしれないツールをすべてチェックして、もうここには連絡が来ないかもしれないと思っていたメールアドレスに地震の数日前に来ていたメールを発見した。地震の前にきたメールだったけれど、とにかく良かった、生きてる(分からないのに)、よかった、通じている、という嬉しさで「地震、大丈夫だったのね」というメールを書くと、なぜかそれまで気づかなかったのに、チャット欄で彼の連絡先が青く点灯していることが分かった。

「チャットができるの?」と話しかけてみると「そうみたいね」という返事が返って来た。そしてその日からその青いライトを確認する事で、彼がそこにいるのだと思うとどうしても確認せずにはいられないし、何も話さなくてもとにかくそこにいることが分かればそれでいいのだ。


「もう揺れないと思うよ」

と彼が言う。
彼は携帯電話からだからいつもゆっくりと返事が来る。そしてぶっきらぼうだ。だけど多分、彼がコンピュータの前から返信してくれたとしたって似たような返事だと思う。


「気休めか?」

「なので、安心して、おやすみ。」


ああ、こんな会話を、した事があったな。と思う。電話が子機とかじゃくて長いコードを自分の部屋まで引いてお布団の中で話していた頃。家族が出るかもしれないと思いながら掛ける電話。鳴ると家族が出る前に急いで出る電話。そんな電話を愛しく思っていた頃。なんだっけなあ、どんなふうにおやすみって言ってたんだっけなあ、これと似たような会話をよくしていたと思うんだけれど・・・そもそも「おやすみ」だったかなあ・・そう思ってもどうしても思い出せない。でも、何か私が不安に思う事があって、その不安を口にすると彼は決まって何か気休めになるようなことを言ってくれたのだった。「だから、今日はもうおやすみ」と。