試合前日になった。


夕方、俺は道場の床に正座し、目をつぶって精神を統一していた。
冷たい道場の空気が、俺の感覚を研ぎすませてくれる。
やれるだけのことはやった。
あとは練習してきたことを戦いでぶつけるだけだ。


「お兄ちゃん」
かわいらしい声が道場に響いた。
入り口に、角田由美が立っていた。
「なんだ由美か、どうかしたのか」
由美は思いつめた顔つきで、とことこと歩み寄ってきた。
「お兄ちゃん、明日試合なんだって?」
「ああ」
「……なんで、そこまでするの?」
「なんでって?」
「師匠に聞いたよ。お兄ちゃん、南斗さんってひとと修行することを許してもらうために、試合をするって」
「ああ、そうだ」


由美は下を向き、少しの間黙ったあと、思いきったかのように顔をあげて聞いた。
「お兄ちゃん、その南斗さんってひとのこと、好きなの?」
「はあ!?」
思わず大声をあげてしまった。ひどく動揺してしまった。そんな自分に驚いた。


「だっておかしいよ。いくら一緒に修行したいからって、プロレスラーなんかと真剣勝負するなんて」
「プロレスラーなんかとか言うな。別に、南斗さんのことは、なんとも思ってねえよ」
「本当?」
由美は背伸びして顔を近付けてきた。
「あ、ああ」
「本当に本当に本当に本当?」
「……しつこいな。本当だよ。つーか、そんなに顔近付けんな」
おれは由美から目をそらした。


由美は少し声を低くして言った。
「明日ね。その南斗さんとの試合相手、……わたしがやることになったんだ」
「え?」
おれは驚いたが、しかしすぐに納得した。由美は、六歳の頃から、うちの道場で空手を習い続けていた。いまでは女子部の中でも抜き出るほどの実力を持っている。
「お兄ちゃん、前言ってたよね?南斗さんが強いから一緒に修行してるんだって」
「ああ」
「じゃあ、わたしが、その南斗さんに勝てば、南斗さんよりもわたしの方が強いって証明できれば、お兄ちゃん、わたしと一緒に修行してくれる?」
「…………」
「いいよね?いいに決まってるよね?お兄ちゃん、別に南斗さんのことなんかなんとも思ってないんでしょ?強いから一緒にいるってだけなんでしょ?だったらわたしの方が強かったら、わたしと一緒になってくれるんだよね!?」
「おい、なんか話がずれてないか?」
「えい!」
由美は突然おれの足に下段蹴りを食らわせた。そして一瞬バランスを崩したおれに勢いよく抱きつく。そのままおれは、由美に押し倒された。