この自転車の事件のあと、まるで何かに呼び覚まされたかのように、日本中のあらゆる場所で、物が勝手に動きだし、ひとを襲うという現象が次々と起きた。


人々は、混乱した。


ある新聞が、「現代の付喪神」という見出しをつけて、これらの事件を記事にした。


それをきっかけに、この現象のことは、「付喪」と呼ばれるようになった。


「神」という字ははずされた。自分たちに危害を加える存在を、神と呼びたくなかったからだ。


付喪の事件による死者は、増え続けた。


しかし、国は何の対策もとれなかった。


無理もない。


相手は物なのだ。


いまの人間は、物がないと生きることができない。


付喪による被害を無くす方法は、まわりから一切の物をなくすことだ。物によって生活が支えられている現代人にとって、それは不可能な話だった。


人々は怯えながら、自分の持ち物か付喪にならないことを祈るしかなかった。