ほどよいあとさき



当時の歩は、事故によって亡くなられた方々への謝罪の気持ちに押しつぶされそうになっていた。

そして、お父さんが働いていた会社の名前を傷つけ、世間にその無茶な勤務実態を知らしめたことによる内部からの非難を受けることも覚悟をしていた歩。

けれど、KH建設から差し出された援助によって、その未来は苦しみだけではなくなった。

経済的な援助も受けられ、世間からの冷たい非難からも守ってもらえる安心感は、何よりもありがたかったと、そして奇跡だったと歩から聞いたことがある。

きっと、信じられない展開だったと思う。

そして、そのおかげで、歩は大学を卒業することができ、歩の妹も、小さい頃からの夢を叶え、現在は美容師として働いている。

それもこれも全部、KH建設のおかげだ。

確かに、父親が引き起こした事故に対する謝罪の気持ちや、その事故の被害者の方々への償いきれない罪の大きさを考えれば、差し出された手を素直に受け止めていいのか、何度も考えたに違いないけれど。

歩にはお母さんと妹さんがいた。

その二人を支えていくためには、KH建設から差し出された手に縋るよりほかなかった。

経済的な面でも、そして、マスコミから守ってもらうという意味でも、KH建設の顧問弁護士である戸部先生の力も必要だった。

父を亡くし、母と妹の生活を背負うことになっただけではなく、交通事故の加害者の家族としての重荷をも抱えた歩だってまだ未成年。

他人の手に縋らなければ成り立たない未来に心は痛み、苦しみ続けたに違いない。

そして、お父さんが引き起こした交通事故によって亡くなった方や、ご遺族への謝罪。

歩に責任がないとはいえ、完全に振り切ることなんて一生できないに違いない感情。