今の季節は夏なのに。この山とその麓の村はずっと冬が続いている。


切り立った岩山を軽い足取りでウェンディゴがひょいひょいと飛んでいく。


彼女はウェンディゴの主だ。耳の根元から生える長い毛の束が風になびいて、まるで踊っているようだ。


いつもより足取りが軽い。今日は仲間が新しい家族を産んだのだ。なにか栄養のあるモノはないかとウェンディゴは吹雪の中を見渡すが、何もない。雪鹿が一匹もいない。


そうだ、今日は人間が狩りをする日だ。だから 鹿が見当たらないんだ。


ウェンディゴは少しがっかりしながら吹雪の中を進んだ。なんでもいい、なにか食べられるものを…。そんなことを考え歩みを進めていたら、足元の雪が無くなった。ガクン、と体がかたむき谷の底へと落ちていく。


誰か助けて。


私が居なくなったら群れはどうなる。せっかく人間の手から逃れ、あそこまで増えたのに…。


*

トュルクルは、雪の中を進んでいた。谷の底に生えている薬草を取りにきたのだ。


ここの薬草は質が高く、高値で売れるのだ。


「今日はいっぱい取れたし。早く帰ろうっと」


ウキウキと胸を弾ませながら元来た道を戻っていくと、その道に、見覚えのないものが落ちていた 。


近づいてみると、それは自分が最も恐るものだった。



「ウェンディゴ...っ!!」


鋭い牙で鹿の骨を砕き、肉を切り裂く姿を何度も見てきた。村を襲われ、仲間が何人も死んでいった。


だがあの事件には裏があった。元々争いを好まないウェンディゴが村を襲った。その大半がメスで 、ひどく痩せていた。



人間が狩りをしすぎたのだ。でもウェンディゴたちは許した。鹿の他にも食べる物があったから。しかし、人間はウェンディゴの肉にまで手を出した。その被害の大半は、偵察へ行くために巣を離れることの多いオスだった。家族を、夫を失ったウェンディゴは悲しみにくれた。だがそれも許した。


でも人間は強欲だった。今度は巣を襲い、子供を奪っていったのだ。若く柔らかい肉を求めて。


ウェンディゴたちは我慢の限界だった。夫を奪われ、子を奪われた悲しみは怒りに変わった。


今度はこちらが奪う番だ。


だが、村を襲っても家族は帰ってこない 。やせ細ったメスの力では、武器を持ち、仲間の肉を喰らった人間に敵う訳がない。


ウェンディゴの主は、仲間たちを静め、人間にこう言った。


「これ以上仲間を奪わないでくれ、獲物はいくらでもくれてやる」


人間も自分たちの非を認め、お互いに狩りをする日を決めた。


しかし、この事件は遠くの国へ行くほど、真実とは遠くかけ離れたものになった。


そのせいで、ウェンディゴたちは肩身の狭い思いをしているのだ。


「だっ、大丈夫か!?」


トュルクルはウェンディゴに駆け寄り、その体に触れた。ふわりとした毛はいくら触っても冷たいままだ。これは、ウェンディゴの毛皮の特徴でもある。灼熱地帯へ売ると、高値で取引してくれる。


ウェンディゴが目を覚ます気配はない。トュルクルは背負っていたかごをお腹の前で背負うと、ウェンディゴの体をなんとか背負い上げた。


「おもい…」


自分が乗れそうなほど大きいその体を少し引きずりながら家へと急ぐ。


あの時交わした約束に、ウェンディゴは人間を傷付けないし、人間もウェンディゴを傷付けないというものもあったからだ。


無抵抗な者をいたぶる趣味はない。ちょうど、家は村から離れたところにあるし。家族もいないから誰も困らないだろう。


ざくざくと雪を踏みしめ、足跡を作っていく。


あの時も、この重さを感じていた。初めて仕留めたオスのウェンディゴは、今まで仕留められてきたウェンディゴよりも大型だった。きっと、あれが群れの主だったのだろう。


ウェンディゴの不思議な習性の中に、夫婦で子育てをし、どちらかが死ぬまで浮気は絶対にしない。というものがある。それと、もう一つ。群れの主になるには、誰かとつがいにならなければならないこと。


あのとき村を襲った群れの主はメスだったはずだ、もしかしたら、あの日、自分が仕留めたあのウェンディゴの…。


子供がいたかもしれない、その子供さえも、人間が攫っていったのかもしれない。


「怒るのも当たり前かなぁ」


ずびっ、と鼻をすすり、背中のウェンディゴを背負いなおした。